監修:安 藤 哲 行
執筆:篠 原 愛 人 / 稲 本 健 二
〔摂南大学国際言語文化学部〕
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No. | 資料ID | 著者名 | 題名 | 発行地 | 出版社あるいは印刷所 | 発行年 |
文献改題 | ||||||
1 | 29214541 | Delicado, Francisco | Retrato de la Lozana Andaluza, en lengua Española muy clarísima, compuesto en Roma, El cual retrato demuestra lo que en Roma pasaba, y contiene muchas más cosas que la Celestina | Madrid | Imprenta y Estereotipia de M. Rivadeneyra | 1871 |
フランシスコ・デリカードのピカレスク小説『アンダルシアの伊達女』 → 詳細 | ||||||
2 | 29214542 | Verdugo, Francisco | Comentario del coronel Francisco Verdugo, de la guerra de frisia | Madrid | Imprenta y Estereotipia de M. Rivadeneyra | 1872 |
陸軍大佐フランシスコ・ベルドゥーゴによる『フリジア戦争従軍記』 → 詳細 | ||||||
3 | 29214543 | Anónimo | Tragicomedia de Lisandro y Roselia, llamada elicia, y por otro nombre cuarta obra y tercera Celestina | Madrid | Imprenta y Estereotipia de M. Rivadeneyra | 1872 |
作者不詳の会話体小説『リサンドロとロセリアの悲喜劇』 → 詳細 | ||||||
4 | 29214544 | Varios | Cancionero de Lope de Stúñiga, Códice del siglo XV, ahora por vez primera publicado | Madrid | Imprenta y Estereotipia de M. Rivadeneyra | 1872 |
『ロペ・デ・ストゥニガ詩歌集』 → 詳細 | ||||||
5 | 29214545 | Alonso de Villegas Selvago & Anónimo | Comedia llamada selvagia, compuesta por Alonso de Villegas Selvago, & Comedia serafina | Madrid | Imprenta y Estereotipia de M. Rivadeneyra | 1873 |
アロンソ・デ・ビリェガス・セルバゴの会話体小説『セルバヒア』と作者不詳の会話体小説『セラフィーナ』 → 詳細 | ||||||
6 | 29214546 | Vega, Lope de | Comedias inéditas de Frey Lope Félix de Vega Carpio | Madrid | Imprenta y Estereotipia de M. Rivadeneyra | 1873 |
ロペ・デ・ベガの未発行の戯曲集(第一巻)→ 詳細 | ||||||
7 | 29214547 | Luis Milan | Libro intitulado el cortesano, compuesto por Luis Milan & Libro de montes de damas y caballeros, por el mismo | Madrid | Imprenta Y Estereotipia de Aribau Y CA. | 1874 |
ルイス・ミランの『宮廷人』と『格言集』 → 詳細 | ||||||
8 | 29214548 29214549 | Tafur, Pero | Andanc?as é viajes de Pero Tafur por diversas partes del mundo avidos (1435-1439) Andanc?as é viajes de Pero Tafur | Madrid | Miguel Ginesta | 1874 |
ペロ・タフールの『世界旅行記』および資料 → 詳細 | ||||||
9 | 29214550 | Silva, Feliciano de | Segunda comedia de Celestina por Feliciano de Silva | Madrid | Imprenta de Miguel Ginesta | 1874 |
フェリシアーノ・デ・シルバの会話体小説『セレスティーナ続編』 >→ 詳細 | ||||||
10 | 29214551 | Rodriguez, por Lucas | Romancero historiado con mucha variedad de glosas y sonetos por Lúcas Rodriguez | Madrid | Imprenta de T. Fortanet | 1875 |
ルカス・ロドリゲス『物語民謡集』 → 詳細 | ||||||
11 | 29214552 | Hurtado de Mendoza, Diego | Obras poéticas de D. Diego Hurtado de Mendoza (Primera ed. completa) | Madrid | Imprenta de Miguel Ginesta | 1877 |
ディエゴ・ウルタード・デ・メンドーサ『全詩集』 → 詳細 | ||||||
12 | 29214553 | Molina, Tirso de, & Castro, Guillen de, | Comedias de Tirso de Molina y de Don Guillen de Castro | Madrid | Imprenta de Fortanet | 1878 |
ティルソ・デ・モリーナとギリェン・デ・カストロの『戯曲集』 → 詳細 | ||||||
13 | 29214554 | Varios | Varias relaciones del Perú y Chile y conquista de la Isla de Santa Catalina, 1535 á 1658 | Madrid | Imprenta de Miguel Ginesta | 1879 |
ペルー、チリならびにサンタ・カタリーナ島の征服に関する報告集 → 詳細 | ||||||
14 | 29214555 | Varios | Varias relaciones de los Estados de Flandes, 1631 á 1656 | Madrid | Imprenta de Miguel Ginesta | 1880 |
1631年から1658年までのフランドル地方に関する記録報告 → 詳細 | ||||||
15 | 29214556 | Varios[Francisco de La Cueva, Baltasar de Morales, MarquéS de Flores de ÁVila | Guerras de los Españoles en África, 1542, 1543 y 1632 | Madrid | Imprenta de Miguel Ginesta | 1881 |
スペイン人による対アフリカ戦争の記録報告 → 詳細 | ||||||
16 | 29214557 | Montesinos, Fernando & Toledo, Francisco De | Memorias antiguas historiales y pol?ticas del Perú/ por el licenciado Fernando Montesinos, Seguidas de las informaciones acerca del señorío de los Incas, hechaus por mandado de Francisco de Toledo, virey del Perú | Madrid | Imprenta de Miguel Ginesta | 1882 |
ペルーの古い歴史・政治に関する覚書 → 詳細 | ||||||
17 | 29214558 | Almansa y Mendoza, Andrés | Cartas de Andres de Almansa y Mendoza, Novedades de esta corte y avisos recibidos de otras partes | Madrid | Imprenta de Miguel Ginesta | 1886 |
アンドレス・デ・アルマンサ・イ・メンドーサの手紙 → 詳細 | ||||||
18 | 29214559 | Varios | Cartas y avisos dirigidos á Don Juan de Zúñiga virey de Nápoles en 1581 | Madrid | M. Ginesta, Impresor de la Real Casa | 1887 |
ナポリ副王ファン・デ・スニガ宛の手紙および報告書 →詳細 | ||||||
19 | 29214560 | Varios | Tres relaciones históricas, Gibraltar, Los Xerves, Alcazarquivir | Madrid | Imprenta de M. Ginesta Hermanos | 1889 |
ジブラルタル、ヘルベス、アルカサルキビルに関する記録3編 → 詳細 | ||||||
20 | 29214561 | Requesens, Luis de | Pio IV y Felipe Segundo, Primeros diez meses de la embajada de Don Luis de Requesens en Roma 1563-64 | Madrid | Imprenta de Rafael Marco | 1891 |
ルイス・デ・レケセンスの在ローマ・スペイン大使着任後10カ月の記録 → 詳細 | ||||||
21 | 29214562 | Casas, Bartolomé de Las, | de las antiguas gentes del Perú, por el Bartolomé de las Casas | Madrid | Tipografia de Manuel G. Hernandez | 1892 |
バルトロメー・デ・ラス・カサスによる『古代ペルー人論』 → 詳細 | ||||||
22 | 29214563 | Anónimo | Comedia llamada thebayda, Nuevamente compuesta dirigida al yllustre e muy magnífico señor el Señor Duque de Gandía | Madrid | Imprenta de Jose Perales y Martinez | 1894 |
作者不詳の会話体小説『喜劇デバイダ』 → 詳細 | ||||||
23 | 29214564 | Rueda, Lope de, | Obras de Lope de Rueda, Tomo I | Madrid | Imprenta de José Perales y Martínez | 1895 |
ロペ・デ・ルエダ全集(第1部) → 詳細 | ||||||
24 | 29214565 | Rueda, Lope de, | Obras de Lope de Rueda, Tomo II | Madrid | Imprenta de José Perales y Martínez | 1896 |
ロペ・デ・ルエダ全集(第2部) → 詳細 | ||||||
25 | 29214566 | Vega, Lope de | Isidro, poema Castellano de Lope de Vega | Madrid | Alonfo Martin de Balboa | 1613 |
ロペ・デ・ベガの物語詩『イシードロ』 → 詳細 | ||||||
26 | 29214567 | Vega, Lope de | Corona tragica : vida y muerte de la serenissima reyna de Escocia Maria Estvarda, de Lope de Vega | Madrid | La Viuda de Luis Sanchez, Impresora Del Reyno | 1627 |
ロペ・デ・ベガの韻文による歴史小説『悲劇の王冠あるいはスコットランド女王メアリー・スチュアートの生涯 → 詳細 | ||||||
27 | 29214568 | Vega, Lope de | Ierusalem conquistada : epopeya tragica, de Lope de Vega | Madrid | la imprenta de Vicente Aluarez | 1611 |
ロペ・デ・ベガの悲劇的叙事詩『征服されたエルサレム』 → 詳細 |
フランシスコ・デリカードのピカレスク小説『アンダルシアの伊達女』
1480年頃にコルドバ県で生まれた外科医フランシスコ・デリカードが名前を伏せて1528年にヴェニスで出版した会話体のピカレスク小説。デリカードは著名な文法家アントニオ・デ・ネブリハの下で学ぶが、ユダヤ系改宗キリスト教徒であったために1492年のユダヤ人追放令によってスペインを離れてイタリアに渡る。1528年までローマに滞在するが、そこでの体験をもとにして腐敗したローマ社会を真っ向から批判する内容を盛り込んで書いた小説がこの『アンダルシアの伊達女』である。フェルナンド・デ・ロハスの『セレスティーナ』からの影響は明白であるが、逆に16世紀半ば以降に盛んになるピカレスク小説へ与えた影響も甚大である。特に女性を主人公とするピカレスク小説はデリカードのこの作品が最初である。ただこの小説はウィーン国立図書館に一冊だけ現存する貴重本であり、19世紀になって初めて発見された。本書はこの会話体小説の最初の校訂本として今も研究資料上の価値を失っていない。
陸軍大佐フランシスコ・ベルドゥーゴによる『フリジア戦争従軍記』
陸軍大佐フランシスコ・ベルドゥーゴが実際に従軍したフリジア(フリーストラント、オランダとドイツにまたがる北海に面した地方)での戦争の記録報告書。この記録は長く散逸したと見なされていて、フラケタによるイタリア語訳(1605年出版)の存在だけが知られていた。ところがナポリで出版されたオリジナルのスペイン語版が2冊現存していることも19世紀になってから判明し、またその底本となったと見なされ得る手稿も発見されて、ようやくその全貌が明らかになった。本書はその記録を改めて世に紹介するべく編まれた校定本である。付録としてフランシスコ・ベルドゥーゴの手紙2通、逆に彼に宛てて書かれた手紙数通、そして当時スペイン領でありスペイン人も多く移り住んでいたオランダの状況を示す記録が巻末に収録されている。
作者不詳の会話体小説『リサンドロとロセリアの悲喜劇』
フェルナンド・デ・ロハスの会話体小説『カリストとメリベアの悲喜劇』(別名『セレスティーナ』、1499年出版)を模倣した会話体小説。別名で『セレスティーナ第三部・第四部』と呼ばれることからも明瞭なように、フェリシアーノ・デ・シルバの『セレスティーナ続編』を意識して、その後の続編として自らを位置づけている。ただ残念なことに誰が書いたのかは不明のままである。その上、1542年に出版されているのだが、表紙にも前付にも後付にも印刷所や発行地等に関する記述が一切省略されているので正体が謎に包まれている作品である。ただその後の研究によって、表紙裏の飾り文字を根拠として、印刷所はフアン・デ・フンタで発行地はサラマンカとする説が有力である。また現存している刊本が2冊のみという貴重本でもある。
『ロペ・デ・ストゥニガ詩歌集』
スペインのカスティーリャ王国(イベリア半島中央部)でフアン2世の知性が続いていた時代に、アラゴン王国の国王アルフォンソ5世がナポリを征服し(1443年)、その後ナポリの宮廷に文学愛好的な風潮を作り上げる。このナポリの宮廷詩人たちの作品を収集したのが『ロペ・デ・ストゥニガ詩歌集』である。この詩歌集に収録されている最初の作者がロペ・デ・ストゥニガなのでこの名で呼ばれることとなった。15世紀の写本として現在に伝わっているが、その写本を底本にして活字出版した最初が本書であり、現在もスペインの詩歌研究にとって必須文献に数えられる。編纂者は不明だが、おそらくアルフォンソ5世の死(1458年)後、ナポリで編纂されたのであろうと考えられている。軽快な韻律で宮廷生活を様々に歌った作品が多い。この詩歌集の中で著名な詩人を挙げると、45編もの詩を寄せているカルバハール(もしくはカルバハーレス)、カタルーニャ人のトレーリャス、ドゥエニャス、バリャドリードのフアン、ペドロ・デ・サンタフェ、フアン・デ・タピア、フアン・デ・ビリャパンド等がいる。特に最後に挙げたビリャパンドは、サンテリャーナ公爵と同じく、ソネットを手掛けた15世紀の詩人として特異な位置を占めている。
作者不詳の会話体小説『セラフィーナ』
二作品共にフェルナンド・デ・ロハスの会話体小説『カリストとメリベアの悲喜劇』(別名『セレスティーナ』。1499年出版)を模倣した会話体小説。『セルバヒア』はトレドのサン・マルコス教区司祭であった聖職者アロンソ・デ・ビリェガス・セルバゴのまだ学生だった頃の作品で、1554年にトレドで作者の名を伏せて出版された。しかし作品の冒頭に掲げられた献呈詩の各行の最初の文字を繋ぐとアロンソ・デ・ビリェガス・セルバゴの名前が読み取れる。後に聖職者となって『聖イシードロ伝』や『聖ティルソ伝』等の聖者伝を著わしたビリェガスは若い頃にこの会話体小説を書いたことをひどく航海していて、既に流布していたこの作品を出来る限り買い戻して廃棄処分したと伝えられている。こうした事情からか現在では2冊しか残っていない貴重本となっている。フェルナンド・デ・ロハスの『セレスティーナ』と比べて、主人公である恋人同士が最後にはめでたく結婚にこぎつけるというハッピーエンドにした点が異なっており、同じように『セレスティーナ』を模倣したフェリシアーノ・デ・シルバの『セレスティーナ続編』や作者不詳の『リサンドロとロセリアの悲喜劇』の影響の方が強く感じられる。ビリャガスの没年は不明だが、17世紀はじめまでは生きていたらしい。またプラド美術館にトレドの画家ブラス・デ・プラドの筆による肖像画も残っている。 『セラフィーナ』は既に述べたように誰が書いたのか未だに不明である。しかもエロティックな直接的表現が多く見られるためか、過去において二度出版されているのだが、現存しているのは一冊しかない。同じように『セレスティーナ』を模倣して作者不詳のまま現在に伝わっている『デバイダ』や『イポリタ』よりも文学的には優れているという評価を受けている。
ロペ・デ・ベガの未発行の戯曲集(第一巻)
スペイン古典劇の創始者ロペ・デ・ベガの未刊行の喜劇4編のテキストと1614年にレルマ公爵主催の祝宴で上演されたロペ・デ・ベガの喜劇@美の報償』の上演記録。収録されている喜劇4編の内で『田園の宿』だけは現在ではロペ・デ・ベガの作品とは見なされていない。残りの3編の題名と粗筋は以下のとおり。なお、本書は第一巻と銘打っているが続巻は刊行されていない。
(1)『愛と訴訟と決闘』
貧乏な貴族のフアン・デ・パディーリャと富裕な貴族フアン・デ・アラゴンは友達だが、同時にベアトリス・デ・カステーリャという一人の女性を見初めてしまう。パディーリャはベアトリスと結婚できるように国王に取りなして欲しいとアラゴンに頼む。しかしアラゴンは友を裏切って自分がベアトリスと結婚できるように国王に願い出る。友人の裏切りを知ったバディーリャは訴訟を起こしてベアトリスを取り返そうとする。アラゴンの方は決闘で勝負をつけようと応える。最後は国王が仲をとって、ベアトリスに選ぶ権利を認め、はれてバディーリャはベアトリスと結婚で器量になる。(2)『愛は盲目ならず』
ナポリの貴婦人セリアの家に身を寄せている伯爵オクタビオはセリアの婚約者なのだが、二人ともそのことを知らされていない。そんな時にオクタビオがフェニスという女性と通りで出くわし、その女性こそが自分の婚約者と思いこんでフェニスと電撃的な恋に落ちる。そこへフェニスにプロポーズしようとしている二人の男性が現われる。セリアも巻き込みながら恋のさやあてが繰りひろげられるが、オクタビオとフェニスが最終的に結ばれて他の者は諦めざるを得なくなる。(3)『友情の証明』
ドロテアはリカルドを愛しているが、リカルドは貧しくて結婚もできない。そこで、ドロテアは裕福なフェリシアーノに心変わりをする。ところが、浪費ざんまいのフェリシアーノは財産を使い果たしてしまい借金も返済できなくなって投獄される。友人からも見捨てられたフェリシアーノにドロテアも愛想をつかし、彼女は最終的にインディオの男テリョと結婚してしまう。ルイス・ミランの『宮廷人』と『格言集』
『エル・マエストロ』というビウエラ(ギターの前進)のための楽譜集も出している音楽家でもあったバレンシアの騎士ルイス・ミランの著作。カスティリオーネの『宮廷人』をモデルにして書かれたルイス・ミランの『宮廷人』は、彼が庇護を受けていたカラブリア公爵家の宮廷の礼節作法を今に伝える格好の資料となっている。しかもバレンシア地方の実在の貴族を実名で描いており、当時の社会を知る上でも重要な利用であり、宮廷祝祭・服装等の記述も豊富に見られる。16世紀に刊本出版されたが現存しているのはわずか6冊という貴重本であるために、これまで不当にもあまり注目されなかった.言わずもがなであるが本書が近代以降では初めての出版であり、未だに他の版はない。また同時に収録されている『格言集』は今までほとんど誰にも知られていなかったルイス・ミランの著作で、マドリード国立図書館に1冊だけ現存している刊本を底本にして校閲されている。ただし一部破損しているので不明の箇所があり、本書では省略記号(...)で示されている。
ペロ・タフールの『世界旅行記』および資料
著者のペロ・タフールはアンダルシア州コルドバ生まれの貴族で、ペドロ・ルイス・デ・コルドバの子孫にあたり、カラトラーバ騎士団長ルイス・デ・グスマンに仕えた。1435年の秋に旅に出ることを決意し、サンルーカル・デ・バラメダから出発してジェノヴァに着き、イタリアをまわった後でスイス、フランス、ドイツと足を延ばした。彼の旅は1439年まで続くが、ロードス島、キプロス島、エジプトを経てパレスチナ地方南部にまで到達している。その彼の旅行記は奇知に富んだ記述と訪れた土地の神話・伝承などを盛り込んだ内容で、15世紀当時は非常によく読まれた旅行記であったらしい。ただ刊本資料は散逸して現存しておらず題名だけが知られていたが、18世紀に筆写された手稿(一部破損)がマドリード国立図書館で発見されたのを機会にして活字出版したのが本書である。
フェリシアーノ・デ・シルバの会話体小説『セレスティーナ続編』
15世紀の末にシウダー・ロドリーゴに生まれたスペインの散文小説家。ユダヤ系改宗キリスト教徒の娘と結婚しようとしたが、周囲からの反対が強くスムーズにはいかなかった。この経験が後に彼が筆を染める騎士道小説にも独特の個性を付与する結果となった。代表作は騎士道小説『アマディス・デ・グレシア』で、騎士道小説の最高傑作『アマディス・デ・ガウラ』の世界を忠実に模倣してはいるものの、イタリアの詩人サンナツァーロの『アルカディア』という牧歌小説の「恋の鞘当て」的な要素を初めて盛り込んだところがフェリシアーノ・デ・シルバの独創であり、以後スペインの騎士道小説では必須要素として踏襲されていく。本書はこのシルバが若い頃にスペインで出版されて人気を博したフェルナンド・デ・ロハスの会話体小説『セレスティーナ』を模倣して書いた続編である。『セレスティーナ』の続編は多くの作家たちが手を染めており、概して亜流というのは原作品より見劣りするものであるが、その中ではシルバのこの小説が最も完成度が高く成功した例である。あやしげな妖術を使うセレスティーナという老婆が若い男女の恋の取り持ちをするのだが、シルバの続編では怪奇趣味と聖職者批判が全体として前面に押し出されている感が強い。
ルカス・ロドリゲス『物語民謡集』
スペインの民衆的な歌謡は8音節の韻文で書かれてロマンセ(民謡)と呼ばれるが、このロマンセを集めたものがロマンセーロ(民謡集)である。16世紀に入ってから民謡を集大成しようとする気運が高まり、様々な民謡集が編纂されて出版された。その中でも特異な位置を占めるのが本書のルカス・ロドリゲス『物語民謡集』である。このロマンセーロの特色は作者不詳のロマンセを集めただけでなく、それをもとにしてルカス・ロドリゲス自身が注釈に当たる詩を添えたりして手を加えた民謡集になっている点である。17世紀になってから一流の詩人たちが民謡の調べを模倣しながら自らの詩を書き始め、これらは<新ロマンセ>と呼ばれるが、ルカス・ロドリゲスの『物語民謡集』はいわば<新ロマンセ>の先駆けともいうべき作品となっている。1579年(または1581年)アルカラ・デ・エナーレス版、1582年アルカラ・デ・エナーレス版、1584年リスボン版、1585年アルカラ・デ・エナーレス版と当時でも4版を重ねていることからも分かるように、非常によく読まれた民謡集であった。アグスティン・ドゥラン、デッピング、アルカラ・ガリアーノ、ウォルフ、ホフマン、オチョア等と19世紀の文人たちもルカス・ロドリゲスにこの作品に注目しているが、この作品だけを単行本として出版したのは本書において初めてである。
ディエゴ・ウルタード・デ・メンドーサ『全詩集』
16世紀にグラナダに生まれた人文主義者、歴史家、詩人そして政治家であるディエゴ・ウルタード・デ・メンドーサの詩作品をすべて集めて集大成した最初の全集版。ディエゴ・ウルタード・デ・メンドーサはサンティリャーナ侯爵直系の子孫にあたり、スペインに数ある貴族の中でも最も上位の位階を誇る貴族である。そのためスペイン大使としてイギリス、ヴェネチア、ローマ等をめぐり、反宗教改革の要綱をとりまとめたトレントの宗教会議にもカール5世の代理として出席したりして、政治家としての側面が強調されることが多かった。しかしガルシラーソ・デ・ラ・ベガやフアン・ボスカンと共に協力しあって、スペイン語韻文にイタリア系の詩型を導入し定着させた功績は多大である。彼の詩集は1610年に刊本出版されてはいるが、すべての詩作品を集めている訳ではない。他の作家たちの出版物の序文に詩を献呈したり、手紙を詩の形式で書いたりもした彼であるから、全詩集を編むには本文批評だけでなく文献学・書誌学の知識も必要になる。「ある作家個人の全集」というコンセプトを19世紀に既に明確に打ち出していた本書の意義はスペインにおける詩研究の歴史の中でも特筆すべきものである。
ティルソ・デ・モリーナとギリェン・デ・カストロの『戯曲集』
ティルソ・デ・モリーナはロペ・デ・ベガ、カルデロンと並んでスペイン黄金世紀の三大作家の一人に数えられるほど重要な存在である。その彼の代表作が世界文学に多大な影響を与えたドン・ファンを初めて登場させた『セビーリャの色事師と石の招客』(1630年)であることに異論の余地はない。ところが、1980年に『セビーリャの色事師と石の招客』を書いたのはティルソ・デ・モリーナではないとする新説が発表されて学会を騒然とさせた。その根拠になっているのが19世紀に発見された『かくも気長な御信頼』という戯曲の存在である。この戯曲は筋立ても登場人物も台詞回しも『セビーリャの色事師と石の招客』とほとんど同じであるが、作者がカルデロンであるとされていたことが問題の発端であった。この作者研究をめぐって様々に議論が沸騰してたどり着いたのが先ほどの新説であった訳だが、まだ論争は終結したのではない。これからの展開が興味深いところである。本書はこの新説が拠り所とする『かくも気長な御信頼』という戯曲を収めている点が最大の特色である。この戯曲は、17世紀に刊本出版されているのだが、19世紀になってから発見されたことでも分かるように、その刊本はバルセローナ演劇学校附属図書館に1冊現存しているのみという貴重本に属する。それゆえにより多くの研究者が資料として利用できるようになったのはひとえに本書の出版のおかげである。なお、同時代の劇作家ギリェン・デ・カストロの『虎穴に入らんずんば虎子を得ず』と『嫉妬が引き起こした悲劇』を同時に収録しているが、前者はこれまで未刊行であった戯曲で、本書が最初の刊本出版である。
ペルー、チリならびにサンタ・カタリーナ島の征服に関する報告集
内容は以下の5種類の史料からなる。
- クスコの包囲に関する報告。ペルーにおける内戦の開始から、ディエゴ・アルマグロの死まで(1535-1539)
- ペルーにおけるフランシスコ・エルナンデス・ヒロンの反乱(1553)
- バイデス侯爵と反乱したアラウカノ族との間に締結された和平協定(1641)
- チリにおける王室軍による武力平定の進展(1657-1658)
- サンタ・カタリーナ島においてフランシスコ・ディアス・ピミエンタが経験した出来事の報告
1631年から1658年までのフランドル地方に関する記録報告
スペイン国王カルロス1世(同時に神聖ローマ帝国皇帝カール5世)からフェリペ2世が譲り受けた広大な領地にはフランドル地方(現在のベルギー西部とフランス北部、オランダ南西部にわたる地域)が含まれていたが、この領地の支配をめぐってスペイン帝国は莫大な金と貴重な人命を犠牲にする。フランドル地方は宗教的にはプロテスタントとしてカトリックの牙城であるスペインと対立し、経済的には織物業の中心地として充分に自立できるだけの余裕もあった。そのためにイベリア半島から独立しようとする動きが常に見られ、スペインはこれを抑えるのに長年にわたって多大な努力を強いられたわけである。本書は1631年から1658年までのフランドル地方に関する記録報告6編をまとめたものであるが、その詳細は以下のとおりである。
- 魔女のカトリックへの再改宗に関する記録(1631年)
- フランスがスペインとの和平条約を破ったために起きたフランドル戦争の記録(1635年)
- 1637年から1640年までのフランドル地方の記録
- ファン・デ・アウストゥリア閣下のカタルーニャからフランドルまでの行幸記録(1656年)
- ファン・デ・アウストゥリア閣下によるフランドル戦役の記録(1656年)
- スペイン人による対アフリカ戦争の記録(1658年)
スペイン人による対アフリカ戦争の記録報告
1492年のグラナダ歓楽をもってスペインにおける国土回復運動(レコンキスタ)は終わりを告げた。しかしながら、アフリカ大陸北部にはまだイスラム教徒が常にイベリア半島への進入の機会をうかがっていたので、国土回復戦争は対アフリカ戦争への名前と性格を変えながらも継続していかざるをえなかった。こうした対アフリカ戦争は質的には対イスラム戦争であり、その戦争に関する記録報告は当時のスペイン人がイスラム教やイスラム文化に対してどのようなイメージを抱いていたのかを知る希有な資料となっている。本書は対イスラム戦争として位置づけられる1542年のトレメセン戦争、1543年のオラン戦争、そして時代は少し下がるが1632年のベナラヘ戦争という3回の戦役の記録報告をまとめたものである。最後のベナラヘ戦争の記録は1632年に刊本出版されたものであるが、トレメセン戦争とオラン戦争の記録は共にマドリード国立図書館に眠っていた手稿であり、本書が初めての活字出版になる。トレメセン戦争の記録を書いていた人物はバエサ市に住む司祭フランシスコ・デ・ラクエバ学士で、手稿末尾には1543年8月23日の日付がみられる。またオラン戦争の記録はバルタール・デ・モラレス将軍の筆によるものだが、対話というスタイルで書かれている点が単なる記録とは違って異彩を放っている。
ペルーの古い歴史・政治に関する覚書
表題の報告集とほ補論として2つの報告書(「インカに関する報告」と「グアマンガ報告」)からなる。 いずれも1570年代前半、フランシスコ・デ・トレド副王の統治時代の報告で、スペイン人により征服されるまでのインカの支配が暴君的であり、スペインはそれを排除してペルー全土に文明的な生活をもたらせたというように、征服を正当化する目的で書かれた。当時、同じような趣旨で数多くの報告が著わされたが、フェルナンデス・モンテシーノによる覚書もその1つ。「グアマンガ(ウアマンガ)報告』ではチルアの首長アントニオ・グアマン・クチョとソラスの首長バルタサル・グアマン・リャモカが、抵抗を続けるインカのトゥパ・ユパンキとその弟のカパク・ユパンキの争いの目撃証言を残す。
アンドレス・デ・アルマンサ・イ・メンドーサの手紙
アンドレス・デ・アルマンサ・イ・メンドーサによる手紙という形式をとった報告書20通。そのうち2通は匿名であるが、同じ人物が書いたものと思われる。扱っている磁器は1621年から1626年まで、つまりフェリペ4世の治世の一の年間であり、その父王フェリペ3世の病気で倒れて逝去するところから書き始められている。20通のうちで17通が内容的にも連続しているが、これらは『スペインの歴史記録資料』第13巻の一部「数名のイエズス会士からラファエル・ペレイラ神父へ宛てた手紙」として19世紀に既に活字出版されている。しかし残りの3通は本書で初めて補遺として公にされたものである。これらの手紙の著者であるアルマンサについては、本書に収められた手紙からうかがい知れる程度のことしか分からないが、少なくとも多くの宮廷人と懇意であったことは疑い得ない。首都マドリードの出来事が中心に述べられており、ジャーナリスティックな興味つきない資料である。また巻末にはアルマンサの手紙の中で言及されている出来事に関する詳細な参考文献が付録として添えられていることも、本書の価値を高めている一因であろう。
ナポリ副王ファン・デ・スニガ宛の手紙および報告書
16世紀末にスペイン帝国のナポリ副王であったファン・デ・スニガに宛てて1581年に提出された135通の手紙および報告書をまとめたもの。イタリアやネーデルランド関係の報告が多く、直接にイベリア半島と関わる内容は乏しい。しかしながら,これらの手紙や報告書を通してローマ、フランス、ドイツ、トルコ等とスペインが取り結んでいた国際関係が如実にうかがえ、非常に興味ぶかい資料である。手紙または報告書を書いた人物別にまとめると以下のようになる。
- グランベラ枢機卿の手紙(10通)
- エルナンド・デ・トレスの手紙(26通)
- マテオ・バルビーニの手紙(7通)
- ルイス・デ・グスマン神父の手紙(2通)
- マルティン・デ・ドゥエロ・モンロイの手紙(3通)
- ミゲル・デ・モンカダの手紙(4通)
- コスメ・デ・ルナの手紙(3通)
- ギリェン・デ・サン・クレメンテの手紙(9通)
- ファン・バウティスタ・デ・タシスの手紙(12通)
- アントニオ・ポセビーノ神父の手紙(1通)
- ヒル・ゴンザレス神父の手紙(1通)
- サン・ファン騎士団長の手紙(1通)
- 司法官代行の手紙(1通)
- ベラルド・カペセの手紙(1通)
- ポンペオ・コロンナの手紙(1通)
- ファン・デ・ボルハの手紙(1通)
- マルガリータ・デ・パルマ嬢の手紙(1通)
- ドイツ皇帝の手紙(1通)
- バルトロメー・プステルラのコンスタンティノープル報告書(12通)
- ファン・マルリアーノのトルコ報告書(1通)
- カシアトーレ・アルメニオのチュニス報告書(1通)
- ティペリオ・インペラートのトルコ報告書(1通)
- 差出人不明(計35通)
- アラゴン、カタルーニャ、ナバーラの言語について(1通)
- カスティーリャ、レオン、ポルトガルの言語について(1通)
- イタリアの言語について(1通)
- リヨン報告書(3通)
- サボイにおけるローマ教皇使節に関する報告書(1通)
- ボルドー報告書(1通)
- ドラおよびボルドー報告書(1通)
- バレンシアおよびパリ報告書(1通)
- ポルトガルにおけるディエゴ皇太子の宣誓式に関する報告書(1通)
- フリサ報告書(2通)
- ナムール、アントウェルペン、リヨン報告書(1通)
- アレポ報告書(1通)
- ブロア報告書(1通)
- リスボンへのフェリペ2世の入城に関する報告書(2通)
- ロンドンとフランデス報告書(1通)
- フランデス報告書(3通)
- トルコ報告書(2通)
- コンスタンティノープル報告書(1通)
- ローマ報告書(3通)
- マドリードからの報告書(1通)
- チャンベリー報告書(1通)
- イギリス報告書(1通)
- トルネー野戦に関する報告書(2通)
- パリ報告書(3通)
ジブラルタル、ヘルベス、アルカサルキビルに関する記録3編
本書が収めている記録3編のうちで、2編はそれぞれ1566年と1622年に刊本出版されている記録であるが現在まで残っている部数が極めて少なく、また最後の1編はこれまでのところ未刊行の記録であり、3編ともに非常に貴重な資料であることが共通している。最初の記録はペドロ・デ・バランテス・マルドナードとあるエストレマドゥーラの騎士との対話という形式を借りながら、1540年のトルコ軍による略奪に関する内容を持つ。第二の記録はベルナルド・デ・メンドーサがトルコ海軍を大敗させた1560年の海戦に関する記録。最後はアルバロ・デ・サンデがアフリカのヘルベス人を捕虜にとらえた後の報復戦で最後まで幸福をせずに死ぬまで戦い抜いたという1578年に起きた出来事をディエゴ・デル・カスティーリョが書きとどめた記録である。本書は巻末にファン・バウティスタ・デ・モラレスによる「ポルトガル王セバスティアンのアフリカ従軍記」を付録として収めている。
ルイス・デ・レケセンスの在ローマ・スペイン大使着任後10カ月の記録
バルセローナ生まれのルイス・デ・レケセンスはカスティーリャの貴族ファン・デ・スニガの息子で、父のファン・デ・スニガがフェリペ2世に仕えだすとすぐに彼もまた小姓に取り立てられ、父と同様に死ぬまでフェリペ2世に仕えた。若干36歳の1563年に在ローマ・スペイン大使に任ぜられて、任地ローマへ赴く。しかしこの年はスペイン国王フェリペ2世とローマ法王ピオ4世の間で相互の優位争いが激化しており、ルイス・デ・レケセンスも赴任した翌1564年には一度ローマを離れるようにフェリペ2世から命を受け、ローマ法王ピオ4世が逝去してから改めてローマに赴くということをしている。それほどにスペイン国王と法王の不和が表面化していた時期であったのだが、その間の事情をつまびらかにしてくれる直接的な資料というのがこのスペイン大使ルイス・デ・レケセンスがこの時期に書き残した文書なのである。紛失してしまっている文書もあるが、1563年9月26日から1564年8月末日までの10カ月を時間的にはカバーしている。この文書はナポリ副王ファン・デ・スニガ宛の手紙とともにフランシスコ・デ・サバルブル氏が個人で所有していたものであり、世に出るのは勿論本書においてが最初である。
バルトロメー・デ・ラス・カサスによる『古代ペルー人論』
スペイン人による不当な征服・支配を批判し、インディオを擁護する作品を数多く著わし、自らも行動したドミニコ会修道士バルトロメー・デ・ラス・カサスが末期に著わした『インディオ擁護論』(1558)の中からインカに関する章を抜粋したもの。最初はこの書物と一体のものとなる予定であった『発見・征服史』の部分は『インディアス史』として、既に邦訳がある。岩波書店の大航海時代の叢書第Ⅱ期の第21巻~第25巻に含まれる。
作者不詳の会話体小説『喜劇デバイダ』
『イポリタ』、『セラフィーナ』とともにフェルナンド・デ・ロハスの『セレスティーナ』を模倣した作者不詳の会話体小説。これもまたパリ国立図書館(一部破損)、ウィーン国立図書館(奥付散逸)そしてマドリード国立図書館(元サルバー氏蔵書)にそれぞれ一冊ずつ、計三冊しか現存していない貴重本である。しかしながら、当時は広く読まれ人気を博した作品であったらしい。その証拠に1521年にバレンシア版、1532年にバレンシア版、1546年にセビーリャ版と当時では珍しく三回も版を重ねている。これらの発行年代からも分かるように、この会話体小説は16世紀初めに書かれたであろうと想像されるが、15世紀末のカトリック両王の治世ではないかという新説がマリア・ロサ・リダ=デ=マルキエルの最近の研究で公表されている。作品の中ではギリシャ・ローマの古典文学からの引用が豊富に見られたり、神学上の論争が繰り広げられたり、聖書の内容を要約しているようなモノローグがあったりして、アラゴンのフアナ孝女の夫でありボルジア家の聖フランチェスコの父親でもあるガンディーア公爵へ献呈されていることも肯首できる。しかしエロティックな描写が随所にちりばめられており、15世紀末から16世紀初めのスペインにおける風俗習慣を知る上でも重要な資料になっている。作者については、18世紀の劇作家モラティンはバレンシアの人間だといい、元所有者であったサルバー氏はアンダルシアの人間だといい、この双書の編者はコルドバの人間だというのだが、明確なことが分からないので今のところではやはり作者不詳という他はない。この巻から編者の一人であったサンチョ・ラヨンが編集からも外れることになり、この時に既に印刷中だった23、24巻をもってこの双書も幕を閉じる。
ロペ・デ・ルエダ全集(第1部)
スペイン古典劇の黎明期(16世紀)に役者としてまた劇作家として活躍し、スペイン古典劇の父とまで称せられたロペ・デ・ルエダの現存している作品をすべて集めた作品集。スペインで初めて実現した彼の全集で、その後の全集のモデルとなる。現代におけるロペ・デ・ルエダ研究の必須資料である。 第1部には以下の作品が収録されている。
- 『デレイトソ』(1567年):寸劇7編
- 『役者の記録』(1570年):寸劇6編
- 「愛のプレンダス』(対話)
- 『牧歌的な対話』に収められた「カミーラの対話」と「ティンブリアの対話」
- 『靴の対話』
- 『韻文による対話』
- 『聾唖者の笑劇』
ロペ・デ・ルエダ全集(第2部)
スペイン古典劇の黎明期(16世紀)に役者としてまた劇作家として活躍し、スペイン古典劇の父とまで称せられたロペ・デ・ルエダの現存している作品を、すべて集めた全集。第2部には以下の喜劇4編を収録している。
- 『エウフェミア』
- 『アルメリーナ』
- 『偽りの喜劇』
- 『メドーラ』
ロペ・デ・ベガの物語詩『イシードロ』
マドリードの守護聖人を詠い上げたロペ・デ・ベガの物語詩。ロペ・デ・ベガの物語詩として最初に出版されたのは『ドラゴンテア』(1598年出版)であるが、この『イシードロ』(1599年出版)は既に1596年または1597年のはじめには着手されており、実質的にはロペ・デ・ベガが物語詩に初めて筆を染めた作品だと見なされている。しかしながら天才詩人である彼のオリジナリティーが既にはっきりとうかがえる。これまで偉人の業績を扱う場合は11音節詩行でイタリア系の詩型オクターバ・レアルを用いて荘厳に詠い上げるのが常識であったのが、もともとが農夫に過ぎないマドリードの守護聖人イシードロを扱うにはこの常識はそぐわないと感じたロペ・デ・ベガはスペイン固有の韻律である8音節詩行を採用した。この革命的な物語詩はこうしてマドリードの守護聖人イシードロの親しみやすさを充分に示しながらも、ギリシャ・ローマ文学からの広範囲にわたる引用をちりばめて品格が下がることをくい止めた。にもかかわらず、出版された当時はほとんど注目もされずに終わったらしい。しかし現在では若い頃のロペ・デ・ベガが精力的に果敢なる挑戦を試みた野心作のひとつであると評価されている。尚、この作品は17世紀の間に8版を重ねているが、本書はその中の第6版にあたる。
スコットランド女王メアリー・スチュアートの生涯』
スコットランドのドミニコ会修道士ジョージ・コンによって書かれたメアリー・スチュアートの伝記をもとにして、ロペ・デ・ベガが韻文による歴史小説を試みた作品(1627年出版)。エリザベス1世の命で悲劇の生涯を終えるスコットランド女王にロペ・デ・ベガは五千行もの11音節詩行を捧げて、反宗教改革の精神に乗っ取ってイギリス国教会を批判するとともにスペインの無敵艦隊を大敗させた憎き敵イギリスの暗部をえぐり出す。大きな野心をもって挑んだロペ・デ・ベガではあったが、エリザベス1世とメアリー・スチュアートの人間的な愛憎の問題へ展開させていったが故に、宗教的な枠組みと国家間の対立が浮き上がってしまい、やはり失敗作であるという評価は免れ得ない。しかしながら、宗教的な枠組みを設定していたことで時のローマ法王ウルバヌス8世から報償を得ることになったのは彼にとって思わぬ名誉であった。なお、この作品は17世紀では版を重ねていない。よって本書は初版にあたる。
ロペ・デ・ベガの悲劇的叙事詩『征服されたエルサレム』
イタリアの詩人トルクアート・タッソーの『解放されたエルサレム』をモデルにして、ロペ・デ・ベガが深い愛国心と勇壮なる情熱をもって書き上げた悲劇的叙事詩(1609年出版)。イタリアの詩人アリオストの『狂えるオルランド』をモデルにして『アンヘリカの美貌』(1620年出版)という叙事詩を書くというように、ロペ・デ・ベガは既にイタリア・ルネッサンスの詩人たちを尊敬しながらも彼らを超えるような作品を書こうとする意志をはっきりと明確にしていた。しかし前作『アンヘリカの美貌』では想像してたよりは低い評価に終わってしまったので、今度はモデルを変えて再度挑戦したのがこの叙事詩であるといえる。ロペ・デ・ベガが十字軍の偉業をテーマに選んだのは実は単純な動機からであった。イベリア半島からイスラム教徒を駆逐して異教徒からの国土回復運動(レコンキスタ)を完成させたスペインはキリスト教信仰の砦としての自負をもっていたが、聖地奪回という目的のもとに繰り広げられた十字軍の偉業にはスペインはあまり重要な役割を果たしていない。そこで虚実織りまぜて十字軍でのスペインの偉業を誇張して詠い上げることでスペインを愛国心を持って称揚することができると考えたのである。取上げたのは第3回十字軍で、カスティーリャ国王アルフォンソ8世が義父リカルド・コラソン・デ・レオンと同盟を組んで聖地奪回に挑む設定であった。ロペ・デ・ベガは叙事詩をスペインの国民的な韻文ジャンルにまで高めようと意気込み、タッソーがしたように作品を20章に分けて、11音節詩行八千行を書くのに7年もの時間を費やしたという。しかしながら、『アンヘリカの美貌』の場合と同じく、全体にわたる構成上の欠陥が指摘されうる。つまり途中の挿話が多すぎて核となる主筋から逸脱してしまっている感が強く、カスティーリャの貴族たちが登場すれば常に家系をたぐって先祖代々の手柄を述べるのも冗漫だという批判が当てはまる。『アンヘリカの美貌』よりは成功を収めたものの叙事詩に対する興味を失ったかのごとくロペ・デ・ベガはこの作品以後は劇作へ没頭し、再び叙事詩に筆を染めるには12年後の『フィロメナ』(1621年)を待たねばならない。『征服されたエルサレム』は17世紀の間に5版を重ねているが、本書はその中で第3版にあたる。