1990年代に国際言語文化学部(現・外国語学部)が中心となって収集した古地図です。 デジタルアーカイブとして保管・公開いたします。下の画像をクリックすると拡大画像が表示できます。
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No. サムネイル タイトル 作者 年代 縦×横(㎝) 解説
1 オルテリウス 中国図 中国図 オルテリウス 1584年 38X48 16世紀後期の最も優れた地図製作者といわれるオランダのアブラハム・オルテリウスによって 1584年に作られたもので、印刷ではなく、手作業で着色されており、手作りの温かさが伝わってくる逸品。 地図上方が北ではなく西になっているのも珍しい。中国の東方向に位置する日本は地図下部に描かれている。 九州北部にFacata(博多)、四国にAua(阿波)、紀州にCumano(熊野)などの文字がはっきり読める。 当時、日本のMeaco(都)へのルートがヨーロッパでどのように認識されていたかを示す貴重なもので、 Sacai(堺)から都に至るルートが熊野灘経由であったことが読み取れる。中国西部(地図では上部)には、 マレー半島のマラッカが実際より大きく描かれており、ベトナム南部のチャンパ、北部のコーチシナなどの名が見られる。
2 ティセラ/オルテリウス 日本島図 日本島図 ティセラ/オルテリウス 1595年 37X50 ポルトガル人地図製作者ルイス・ティセラによる日本島図で、オルテリウスの 1595年版に初めて地図帳に掲載された。印刷され、流布した単独の日本図としては最初のもの。 オルテリウス自身の“たった今、入手した新しい日本図”と喜んでいる書簡が残っているが、 新しく発見された日本の正しい地図は、西洋人が久しく待望していたものである。 当時の日本では印刷流布していた日本図はないので、西洋人の方が先に日本列島の姿を早く知ったことになる。 その形態といい、国内に記された旧の国名といい、その原拠が行基図系日本図であることは確実である。
3 コロネリ 日本島及び朝鮮半島図 日本島及び朝鮮半島図 コロネリ 1692年 47X63 コロネリは、フランシスコ会の司祭。地図製作者としても名を残す。 17世紀初頭までの極東(とくに日本)の情報はイエズス会士の報告が唯一であったが、 それらに当時の航海者達からの新知識も駆使して正確な地図製作を試みた。 本図は1692年に刊行された『地図上の世界航海』の中の一図で、 寛文期に刊行された“扶桑国之図”などを原図としたと考えられる。当時の日本独立図としては最も正確、 詳細な地図であり、その素性の正しさを誇るべく、イエズス会のマークが地図上部に描かれている。
4 シャトラン 新世界・太平洋図 新世界・太平洋図 シャトラン 1719年 42X71
X4P
シャトランの1719年刊行「地図帖」の第11図。大地図4枚を上下に分かつ。 アメリカ大陸の新発見部に詳しく、また15世紀から17世紀までの大航海探検家や当時の大陸間の貿易航路も記されている。 太平洋の西端に日本が描かれているが、18世紀初頭のヨーロッパ人が描く典型的な日本の姿である。 本地図帖は世界の風景、風俗を図版で示すことを目的としているので、本図にも多くの銅版図が描かれている。