主なテーマ:カール5世支配下のネーデルラント(現在のベネルクスに相当)の政治外交史、ハプスブルク家の結婚政策と女性のネットワーク、近世初頭の外交使節、ベルギー(南ネーデルラント)の歴史
ハプスブルク家の拡大と女性
15世紀末から16世紀にかけて、ハプスブルク家は結婚により所領を広げたことで有名ですが、全てが統合されていたのではなく、ハプスブルク家の君主がネーデルラント、スペイン、オーストリアなど、それぞれの地域をバラバラに統治している状況でした。さらに、ネーデルラントでは各領邦や都市の自治の力が強いなど、それぞれの地域においても、君主中心の一方的な集権化だけでなく、君主による地域や都市との対話が、当時の政治を成功させる重要な側面でもありました。
こうした統治体制において、ハプスブルク家の君主、特に神聖ローマ皇帝であり、スペイン王であり、ネーデルラントの統治者でもあるカール5世は、各地の統治や戦争のために、それぞれの地を不在にしなければなりませんでした。そうした中で、それぞれの地の統治を任されたのが親族の女性でした。とりわけ、当時において文化的にも経済的にも最も繁栄し、英仏との外交の要所であったネーデルラントには、女性の総督がおかれました。カール5世の時代には、初めに叔母のマルグリットが、続いて妹のマリアがネーデルラント総督となりました。その後も、このネーデルラント総督にはしばしば女性が任命されました。こうした女性総督が、ハプスブルクの利益とともに、ネーデルラントの平和のために、どのように近隣するフランスやイングランド王と外交したのかを考察するのが私の研究の中心です。加えて、結婚を通した女性のネットワークが、16世紀前半の国際関係における平和構築において重要な役割を果たしたことにも注目しています。
南ネーデルラント(ベルギー)の歴史 ―ヨーロッパの十字路
私の主たる研究の対象地域は16世紀から18世紀にわたってハプスブルク家の支配下にあった南ネーデルラントであり、現在のベルギー王国に相当します。フランスやイギリス、ドイツ、オランダなどに囲まれた小国ですが、歴史的に見ても経済や外交の要所です。また、現在のベルギーは、小国にもかかわらず、オランダ語圏のフラーンデレン(フランドル)地域とフランス語圏のワロン地域の分裂危機がニュースで取り上げられることもあり、国としての一体性よりも、それぞれの地域の自治が重視されています。その一方で、EUの主要機関が集まるブリュッセルがベルギーの首都でもあります。こうしたベルギーの複雑な状況は、昔から自治が強いこと、ハプスブルク支配下であったという微妙な状況に置かれたことにも関係しています。ベルギーの歴史や政治は、大きな理念のもとに単に団結することが良いとされるのではなく、多様なアイデンティティがある中で、他者との交渉・妥協により維持されうる社会の在り方を示してくれるように思います。
最近の研究成果
・Nana Kaku,“Les ambassadeurs des Anciens Pays-Bas et l’exécution de la paix des Dames” in: J. DUMONT, L. FAGNART, P.-G. GIRAULT et N. Le ROUX (éd.), La paix des Dames. 1529, Presses universitaires François Rabelais, 2021, pp. 135-146.
・『ハプスブルク事典』(丸善出版、2022年出版予定)の編集協力。
その他については、リサーチマップ(加来奈奈)https://researchmap.jp/nanakaku
(写真1)ベルギーのメヘレンにあるネーデルラント総督マルグリットの像
(写真2)ベルギーのヘント(カール5世生誕の地)の風景