研究テーマ:中世ルネサンス美術・演劇
ルネサンスという「核(コア)」?
美術にくわしくないヒトでも、ダ・ヴィンチやミケランジェロという名前を聞いたことはあるでしょう。歴史にうといヒトでも、ルネサンスという言葉をいつか覚えたことがあるはずです。実際、学校の授業やテレビの番組は、これらの画家や概念を15-16世紀のイタリアに結びつけて説明してきました。そうした授業や番組をそのまま受け止めてきた「マジメな」ヒトであれば、次のように考えるのかもしれません。「イタリアのルネサンスをきっかけに、ヒトは、ヒトらしく生き始めたのだ」と。「その生き方こそがヒューマニズムである」と。
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このような考え方にも一理あります。たとえば、いまのわたしたちが当たり前のものとして受け止めている「人権」という概念は、そもそもこうした一面的なルネサンス理解の延長線上に、つまり「神への叛逆」もしくは「神からの逃避」という文脈のもとに生まれたとも言えるからです。別の言葉に置き換えるなら、「人権」の正しさを疑うこともしないヒトは、ある意味でフランス革命のさらに彼方にあるルネサンスという「核」、もしくはまぼろしの固定観念に囚われたまま生きる存在だということです。
「核」を「核」にして見える風景
けれども、ダ・ヴィンチやミケランジェロが生きたフィレンツェやローマ、そしてルネサンスという文化運動をよくよく観察するなら、わたしたちのそうした思い込みを支えてくれる要素はほとんど見つかりません。なぜなら、当時の人びとは「神へ叛逆」することや「神から逃走」することなど、思いもよらなかったからです。ではわたしたちは、当時の人びとを「ヒトとして生きられなかったかわいそうな存在」とみなすべきなのでしょうか?
この問いにわたしは次のように答えます。たしかに当時の人びとは、現代のわたしたちの考える「ヒト」として生きることはなかったけれども、だからといって「かわいそう」なんかじゃなかった、ということです。「人権」という輪郭線すらあいまいな価値にすがりつくことをせずとも、当時の人びとは「ヒト」ではないなにかしらの存在として生きていたことはたしかであり、生きていた以上そこには悲しみとともに喜びがあったと考えられるからです。
ルネサンスは、歴史の「核」でもなければ、文化の「核」でもなく、ましてやヒトの「核」などではありません。「核」などという「なろう系・俺TUEEE」的オールマイティ概念など、この世にはないのです。そうした思い込みをリセットすることで見えてくるのは、いまのわたしたちに多くのヒントを与えてくれる、興味深いヒトの在り方です。それは古めかしくも真新しい風景といえます。たとえばいまこのとき、どれだけ努力しても戦争や飢餓を無くすことがかなわない現実があったとして、それを嘆くみなさんは「人権意識が足りないからだ」とうそぶくかもしれません。ですが、そもそも「人権」という考え方そのものに、最初からごまかしが紛れているとしたらどうでしょう? この古くて新しい風景に透かして見ることで、そのごまかしが浮かび上がってくるとしたら?
ヒトの在り方としての美術と演劇
率直に言って、わたしがルネサンス文化の研究を続ける理由のひとつはここにあります。わたしをつねにとらえて離さないのは、「ヒトらしく生きる」という傲岸な理想にとらわれる間際、人びとははたしてどのような在り方をしていたのかという問いです。いつかこの問いに答えたくて、わたしは15-16世紀イタリアの絵画、彫刻、建築、演劇、そして宗教を研究しています。
ここで慌てて補足しておきたいことは、芸術に表わされた神話や物語のあらすじのみが重要ではない点です。そうではなく、より重要なのはそうした神話や物語がいかに表わされたのかという点です。なぜなら当時の感性、つまり人びとの喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、嫉み、慈しみはしばしば内容よりも演出に織り込まれるからです。たとえば宗教劇において、天使役がクジャクの羽根で作られた翼を背負い、拷問を受けるキリスト役が家畜の皮にくるまったことが、当時の見物客になにをもたらすのかと問うわけです(おもしろいでしょう?)。
かつて生きた人びとの感性や欲望を、いまを生きるヒトの感性や欲望と照らし合わせることで、この先に生きているであろう人類の可能性はひらかれます。この可能性に手を伸ばすことが、表象文化論や西洋美術史、もしくはより大きな枠組みである人文学にたずさわる研究者の仕事だと、わたしは考えます。
著書一覧
『原典 イタリア・ルネサンス芸術論』池上俊一[監修]、2021年、名古屋大学出版会(担当:下巻、スーズダリのアヴラアミィ『出立』)
『美学の事典』岡田温司・加須屋誠・加藤哲弘[編集]、2020年、丸善出版(担当:第2章「異時同図法——時間の経過を絵で表すには」「空間表現の多様性——三次元を二次元に置き換えるには」)
ジョルジョ・アガンベン『オプス・デイ 任務の考古学』杉山博昭[訳]、2019年、以文社〔Agamben, Giorgio, Opus dei, Archeologia dell’ufficio, Homo sacer, II, 5, 2012, Boringhieri, Torino.〕
https://setsunan-kokusai.jp/w/2022/01/20/杉山先生の訳書がでました/
杉山博昭『ルネサンスの聖史劇』2013年、中央公論新社
『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』岡田温司[監修]、2011年、ナツメ社(担当:Part3 聖書・外典の登場人物、聖人・聖女/Part4 異時同図法)
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