研究室紹介

田中 悟

[政治学・宗教学 ]

私たちは死者とともに生きている―「死者」と「政治学」

私の研究分野は、とりあえず「政治学」ということになっていますが、「死者論」を扱う関係上、宗教学の分野にも関わりを持っていますし、実際に扱っているのは東アジア(主に日本と韓国)における近現代史の事象です。

他者としての死者

例えば、「私たち日本人」あるいは「私たち家族」と口にするとき、皆さんはその〈範囲〉をどのように想定するでしょうか。前者の場合、おそらく無意識のうちに、(すでにこの世にはいない)歴史上の人物が含まれていたのではないでしょうか。また後者の場合、(仮に亡くなっていたとしても)両親や祖父母のことはきっと脳裏をよぎるでしょう。

「私たち」という表現は、英語の授業で習う表現を使えば「一人称複数」ということになります。「複数」であるならば、そこには「私」以外の何者かが含まれるはずです。そのような「何者か」は通常、「他者」と呼ばれます。私たちはみんな、この他者との関わりの中で生きています。「分かり合えるか?」と問われれば、たとえ親兄弟であっても、親友であっても、恋人であっても、完全に分かり合えることはない。かと言って、「分かり合えないか?」と問われれば、まったく分かり合えないとも言い切れない。そのような存在が、「他者」だと言えます。

では、先ほど問題にした「歴史上の人物」や「亡くなった肉親」についてはどうでしょうか。そうした人々は、紛れもなく「他者」に属します。「もはやこの世にはいない」という意味では、乗り越えようのない決定的な断絶が、彼らとの間には横たわっているように思われます。

けれども、だからと言って皆さんは、歴史を無視し、亡くなった者を無視して生きているでしょうか。そんなことはないはずです。「自分がどんな世界に生きる何者なのか」を考えるためには、もはやこの世にない者たちのことを思い起こさずにはいられません。人間とはそのような存在である、と私は考えます。最も絶望的な断絶を前にしながらもやはり、その者たちのことを考えずにはおれない。そのような、人間にとって避けられない問題として、私は「死者」のことを考えてきました。

「私たちの死者」とは誰のことか

もともと私は、ナショナリズムや戦死者慰霊に関することから研究を始めました。既に亡くなった戦死者をどのように祀り、その死にどのような意味を与え、この世に生きる者として向き合うか、といった問題は、靖国神社を抱える日本だけでなく、世界各国でそれぞれに議論されてきています。そこで問題になっているのは要するに、「どこまでが『私たちの死者』か」ということです。

一例を挙げれば、近代日本において、幕末の戊辰戦争に敗れた会津方の戦死者は、現在に至るまで靖国神社の祭神ではありません。靖国神社を基準とすれば、彼らは「私たちの死者」ではないことになります。また別の例を挙げれば、現代韓国において、民主化運動の過程で亡くなった人々は「国立民主墓地」に葬られていますが、彼らの運動を弾圧する側で命を落とした軍人や警察官は、「顕忠院」という別の国立墓地に眠っています。いま挙げた二つの例はいずれも、内部的には同質的であるべきとされる国民国家の内部にも、「私たちの死者」の線引きをめぐって、複雑な亀裂や揺れ、そしてせめぎ合いがあることを示しています。この線引きは、決して客観的な基準によって定め得るものではなく、(カール=シュミットが言うような、例外状況において友敵を峻別する)政治的な決断にかかるものです。

このような「死者の境界線」をめぐる人々の営みについて、私は長らく関心を持ち、国内外の墓地や慰霊施設、歴史記念館などを訪れて調査を続けています。現在は、現代韓国の「葬墓文化」の変容についての研究を踏まえて、「公的な死者の慰霊・追悼を後世の人々がいかに継承するか」というテーマに取り組んでいます。なお、これまでの研究成果については、拙著『会津という神話』(ミネルヴァ書房、2010年)他の論文・書籍にまとめてあります。ご関心をお持ちの方は、ご一読いただけば幸いです。

〈写真1〉忠霊塔(韓国・釜山広域市・中央公園)

〈写真2〉吹田市有軍人墓地(大阪府吹田市)

 

PAGETOP