日本人の見た外国
外国人の見た日本
薬学部・薬学科 教授 角 正夫
それほど豊富な経験が私にあるわけではないのだが、よその国の人達と接触してみると、どうしてこんな考え方をするのか、どうしてこんな行動をとるのか、疑問を抱くこともしばしばである。彼等の考え方をもう少しよく知りたいというのが動機で、日本人が外国について書いた本あるいは逆に外国人が日本のことを書いた本が目につくと買ってきて、暇をみては読むようになった。
長期間外国に住んで社会的にも活躍し、その実情にも詳しい日本人がいまや確実に増えつつある。そして彼等の中の学者、外交官、特派員、評論家あるいは主婦などが自らの体験を通して見たその国の政治、経済、教育の現状、国民の考え方や生活、日本に対する見方などをまとめた本が結構出版されているようである。勿論全部に目を通せるわけもないが、いくつかを読んだだけでも、自分が全然気付いていなかったことにぶつかったり、長らく疑問に感じていたことに解答が与えられたり、ある場合には自分がかつて見聞したことと同じことを著者も経験していることを発見したりして興味がつきないばかりでなく、今後外国人とつき合う上でも参考になることが多い。著者が女性ならば、男性とは全く異った視点を提供してくれるのも収穫のひとつであろう。
外国人が日本について書いたものを読む際にも同様なことがいえる。殊に著者がこちらの予想もしなかった視点から議論を展開し、まことに当を得た指摘や批判をつきつけられたりすると、つい時間も忘れて読み進み、なるほどこれがかの国流の考え方なのかと思い知らされるわけである。
これらの本の多くは、電車の中ででも、あるいは自宅で寝ころがってでも気楽に読めるのも有難い(これは私が部厚い本やあまり理屈っぽいものを敬遠しているせいもある)。勿論書いてあることがすべて正しく、直ちに役に立つというつもりはない。著者との意見や経験の相違を知るのも読書の楽しみのひとつである。海外旅行ばやりの今日、旅行案内に書いていない知識を読書で仕入れておくのも悪くなかろうし、いつかは外国の人との意志疎通の助けにもなるのではあるまいか。
最近読んだものの中から二、三をあげる。柴田健治著『遥かなヨーロッパ』(朝日新聞社)、我妻洋書『日本人とアメリカ人――ここが大違い』(日本映像出版)、G.ヒルシャー著『自信と過信――日本人に言いたいこと』(サイマル出版会)、鮎川信夫著『私のなかのアメリカ』(大和書房)。
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図書館は今大きく変わろうとしています。
マクロ的には情報化時代の中で、
ミクロ的には本学の拡大・拡充の中で。
そうした状況下、新年にあたって各学部の先生
方に"図書館の夢"を語っていただきました。
夢の実現に向けて前進あるのみ!
BGMが流れ 花咲く中で
薬学部・薬学科 助教授
相本 太刀夫
現在の摂大図書館では充実した検索機構によって利用したい本や雑誌を所蔵図書の中から容易に見付け出すことができる。目的の図書が所蔵されていなければ、学外より極めて短期間のうちに入手できたり、所蔵先を知ることができる。したがって知りたい情報に容易にアクセスできる点において、現在の図書館というものは一昔前のそれに比べると正に夢のような機能を果していると思われる。
しかし、自分が読みたい、目的に適った内容の書物を沢山の図書から選択することは決して容易でなく、今なお大へん時間の要る仕事である。さらに、選び出した書物が本当に求めていたものかどうかは読んでみなければ判らぬことである。読みたい本はじっくりと読んでみたいものだ。しかし、まとまった時間をつくるのが難しい昨今、本当に時というものが止ってくれたらとSF的な思いがする。人間の知能の粋を集めてこの世から時を無くせたら――ある日、私は適度に温・湿度が調節され、有害な紫外線がカットされたサンルームに通された。そこには微かに聞えるラテンナンバーのBGMが流れていた。花が咲き乱れている庭では小鳥が戯れていた。
「お客様、お読みものは」
「そうね、薬物代謝の本でも」
「はい、かしこまりました」
やがて注文の本と軽い飲みものが運ばれてくる。自動頁捲り機に本がセットされ、私はデッキチェアに…………まるで夢のような図書館だ…………もしもし、もしもし、閉館の時間ですよ。うん?夢?掛時計をみると6時であった――1986年○月○日摂大図書館枚方分館にて。
情報処理時代の理想の図書館
経営情報学部 講師
田中 克明
図書館の基本的な機能は、文献という形式で必要な情報を提供することにあると理解している。一方、コンピュータによりデータ処理が非常なスピードで行なう事ができるということは、永らくこの分野でシステムエンジニアとして仕事をしてきた筆者にとっては当然の事であり、逆にいうとその実現に精一杯努力してきたといえる。
コンピュータを図書館の機能と関連させて考えると、書名や著者といった文献情報をコンピュータで処理するだけに留まらず、文献の内容自体をも処理することが将来の図書館の持つべき機能になると思われる。
具体的にいうと、文献の内容、キーワードあるいはその要約がすべてコンピュータに記憶されており、我々が文献を参照しようとするときには、簡単にCRTディスプレーに向かうだけで必要な情報を入手する事ができる。また外国語文献の日本語への翻訳といったデータ変換機能があればさらに我々にとって有益である。当然のことだが大量の記憶装置が必要となるが、書物のスペースに比較すると遥かに小さいものであることは、簡単に計算できる。このようなサービスを一図書館で行なうには限界があるので、最終的には、コンピュータネットワークが形成されて中央のコンピュータにある情報を中継基地である図書館が共同で使用するといった形態になるであろう。そのとき図書館には書物はなく、情報を参照するCRTディスプレーが並んでいるにすぎなくなるのではなかろうか?
ビジュアルな原本を
国際言語文化学部 講師
すぎ浦 勝
図書館に置いて欲しいものには、大別して参考または確認のための先学の学説を中心とする図書と研究または勉強のために資料として使用する対象となる図書、さらに教養や娯楽のための図書がある。このうち前の二種について、いくつかの希望や夢をみている。 学説を中心とする図書では、探したい項目を含むページが直ちに出現する検索システムができればありがたい。そして画面に該当する本の二、三ページが一度に載って、本のページを繰るように、前後が見えるのがいい。さらに、キー・ワードだけでなく、関連する語や分野のものが参考図書として、分割した画面の下方に出ている。これには本の内容を全ての用語で区切り、意味分野の関連を纏(まと)めて入力する必要があるので、当分の間は無理であろう。
資料として利用する図書は、どんな方向からの分析や調査にも役立つようになっているのが望ましい。それには一冊の本が何度もまたばらばらにでも使用できるように、幾つもの実物コピーの出来るものがいい。原本が図書館に入れてあって、利用者の注文に応じて同じものが幾つか(研究利用する者の数)直ぐに手に入る、そんな図書館サービスがうれしい。その意味で図書館は、本だけでなくビジュアルな資料(図版や文書の類はもとより、小形の民俗資料まで)はすべて原本で蔵集していることが望ましい。
現在のところは無理でも図書館の近い将来の姿として、利用者側の注文であります。
理想の館(やかた)にするには
工学部 数学・物理学系教室 助教授
岡田 武之
特集の表題について、内容は自由に、と原稿を本紙編集担当者から依頼された。大学の図書館を「理想の館(やかた)」にするには、限りない年月を要するし、考え込む。学生・教員の一部から耳にした意見を集約してみました。
(1)まず、専門・一般教養関係の書をより多方面に亘って、冊数も多く備えるのが先決と思います。同時に、本学で開講されていない、仏、露語等の辞書、学習法等の種類も多くと、思います。又、人間の教養を高めるに必要な日・外の文学・芸術(含音楽等)関係の書や日常生活の書(生活教養書、料理、お茶、生花)も、質量共に豊富であるべきでしょう。
(2)重要な書は、最低10冊備えたらと思います。誰かが借り出していて、手に出来ない事がないように。英・独語の小辞典も、幾種類か、各々10冊位揃えるべきと思います。これらは、学生に意外と多い意見でした。
(3)薬学部新入生は、寝屋川で学ぶが、本館には専門書が少ない。夢を抱いて入学してきた学生の為にも、十分考慮すべきでしょう。
(4)学生用の個室閲覧室、少し備えたらと、思います。将来の大学院生の為にも。
(5)現在のフロアはかなり狭く、試験中相当混雑するので、もう少し拡げたら良いのでは。又、ワープロも備えてあって……。
(6)蔵書物は、図書館だけでなく、学内数ケ所に設置されている端末を用いて、学生証をカードに、すぐ検索(書物の内容検索をも含めて)できたらと思います。検索が終ったら、使用者による故障の有無のチェックも可能なように。
(7)夢だから、もっと夢見て、今度はすばらしい別棟の独立した館(やかた)があったらと思います。この館には、レストラン、給品部、書籍販売部も完備。又、目的の書に合致したビデオカセットもあり、何階かには、地球の自転を実証する「フーコの振り子」やプラネタリウム、絵画、彫刻あるいは諸外国の生活様式や歴史物、又教育・講義用(例えば、放送大学の教材等)のビデオカセット等、学生達に色々な夢を描かせるようにし得たらと思います。
(8)他方、研究面では、各研究室にも端末があり、必要な雑誌の内容がプリンターで可能となるように。又、科学・技術情報センター、あるいは他大学の図書館の雑誌も同様に使用可であったら……。
遠い将来に視点を移し、夢を貪るのも意外と楽しいものです。
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想像の源を求め
薬学部・薬学科2年 中本 加寿代
人と本との関係は様々ですが、私はどちらかというと、いつも本に接しているというタイプではなく、発作的に「本が読みたい」と思った時に一気にいろいろな分野の本をたくさん読むタイプです。これは字を覚えたての子どもが、字のない絵本よりも字のある絵本を欲しがるのに似ています。発作的にやってくる読書の時期には、本を読むのはもちろん他の人がどのような本に興味を持ち、思索にふけっているのか、また今どのような本が話題になっているのか、など、本についてならいかなる情報も、見逃し難い気分になるのです。
1人の時間が少なくなると、いろいろな情報を得るにはやはり活字よりも手っ取り早いテレビ等に頼りがちになります。このような状態がずっと続いていると、活字に飢えてくるのです。飢えるというよりはある1つの事がらを、テレビ等で見聞きするのと、文章で読むのとでは、ずいぶん違いがあることに気づくのです。文章からくる想像というものは、その日の気分や状況によって無限に変わります。しかし、テレビ等ではその想像できる範囲が画一化されてしまうように思えるのです。
私は想像するのが大好きです。しかし想像を働かせるには何か源になるものが必要です。この源を求めてこれからもどんどんいろいろな本を読み、頭が老化してしまうまでに、もっとたくさんのことを頭の中に、また心の中に刻んでおきたいと思います。
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★ 各出版社の双書類約1,800冊受入
(寝屋川本館)
今年度、各出版社の双書類、約1,800冊を一括して受入しました。このたびその整理が完了し、図書はそれぞれの主題によって分類・配架されています。この双書には、教養的なもの、専門的なものも含めて、基本的な良書が集められています。諸君の学習に大いに役立つことと思います。受入した主な双書類は次のとおりです。『朝日選書』『岩波全書』『共立全書』『実教選書』『新潮選書』『平凡社選書』『NHKブックス』『有斐閣選書』等々。
★ 新着図書目録ができました
今年度の4月以降に購入した図書(学生用)の目録ができました。この目録は、分類目録、書名索引、著者名索引から構成されています。特色は、書名、双書名のどちらからでも引け、また、第2書名、第3書名、あるいは、第2著者名等からも引けることで、これは現在の端末機による検索システムを補うものとして有益です。メインカウンターにありますのでご利用下さい。
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グアナフアト大学図書館
国際言語文化学部 講師
安藤 哲行
17世紀半ばから銀山の町として栄えたグアナフアトは、スペインからの独立の際には血なまぐさい戦いの場となり、穀物倉庫アロンディガ(現在は博物館)の四隅にはその戦いの指導者イダルゴ神父らの生首がつりさげられたというものの、いまは「丘と山に囲まれ青空のもと、陽を浴びる大きな揺籠(ゆりかご)のよう」と歌われるがままに植民地時代のたたずまいを留める観光都市と化している。人口八万ほどのこの町、実感としてはそれほどの人がいるとはとうてい思われない町で一際目をひくのがグアナフアト大学。
植民地時代、1732年イエズス会の学校として創設されるとルソーやヴォルテールが読まれ独立後1831年現大学になって今世紀にはいるとマルクスやハイデガーを議論する教授・学生の姿が本校舎正面の世評名高い、雄壮な階段上に見られたといわれるほど、このグアナフアト大学には進取の学風がある。それを支えて来たのは、教授陣ばかりではなく、図書館及び図書館員であるといえよう。
現在、大学には中央図書館と32の学部及び付属図書館がある。大学がレオン、セラヤ、イラプアト、サラマンカ等、隣町に学部ごとに分散しているのにともない図書館も14が他の町にある。図書館全体で9名の専門図書館員(1名は図書館学博士、8名は修士)そして72名の図書館員が14,273名の学生、1,382名の教授、108名の研究員の学習、研究の便宜をはかっている。その一方で、大学には地方の文化を支えリードする役割を担う使命があるとの理念から、広く門戸を開放しているため、様々な階層の人々の知識欲を満たす案内人としても働いていることになる。
現在の中央図書館は1974年、旧家の邸を買取り改造した建物の中にあるが、なにぶん植民地時代の建物であるため、夏期休暇には補修のために図書の大移動となる。それでも図書館全体の中枢がここに在るという。大学本校にはアルマンド・オリバレス、マヌエル・セルバンテス両記念図書館があり、そこには16〜19世紀に出版された歴史的・文学的に価値の高い本のコレクションがそろっている。また、町を囲む丘の上にあるバレンシアーナ校、哲・文学部の図書館には大学の前身ともいえるイエズス会が所有していた古文書が保存されている。
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オランダ東インド会社の既刊文書
『バタヴィア城日誌』ほか
国際言語文化学部 講師
深見 純生
オランダ東インド会社(1602−1799年)は、日本から西アジアに至るアジア大陸の沿海部各地に拠点を設けて交易を行った。この広汎な地域の要塞や商館は、その地方の情報をバタヴィア(現ジャカルタ)にあった総督府に送っており、バタヴィアの文書が日本を含めてアジアの歴史を研究する上で貴重な史料であることはよく知られているとおりである。ところが、東インド会社の文書を扱うさいの悩みは史料が少ないことではなく、多すぎることである。
総督府の文書には次の3大グループがあると言ってよい。1.総督府を中心とし、バタヴィア地域の日々の出来事に加えて、各地の情報の要点を逐次日誌に書き留めたもの。これが『バタヴィア城日誌』である。各地の商館も日誌を作成しその写しを便船ある毎に本国に送っている。2.原則として一年に一度これらの情報の概要を纏(まと)めて総督府管下の『一般報告書Jとして、決算書とともに本国の重役会に送付したもの。3.総督府が各地からの情報に基づいて、そのつど発した指令や回答、また職員や艦船、軍兵の派遣や召換について、あるいは適切な政治、外交、経済上の対策についての総督府の決定つまり『決議録』である。
これらの文書は総督府のあったジャカルタの国立文書館や本社のあったオランダの国立文書館に残っているが、なにしろ膨大なものなので、やみくもに挑戦するのは命取りになりかねない。既に刊行されているものを十分利用する必要がある。その入手は今日では必ずしも容易でないが、幸い本学図書館にはかなり揃っている。
上記のうち、1.『バタヴィア城日誌Dagh-Register enz.』は、正式には『バタヴィア城に保存される同所および全オランダ領インドで生起した事に関する日誌』といい、1624年に始まり1807年で終わっている。このうち1624年から1682年の分が1887年から1931年にかけて31巻で刊行されたが、その後中断したままである。3.『決議録』はその索引『Realia enz.』だけが1882年から1886年にかけて3巻で刊行されている。2.『一般報告書Generaal Missiven』は現在刊行中であるが、あまりに膨大であるため、既に別の形で刊行された部分は省略されている。この省略部分は、『総督クーン書翰集』を除いて、残念ながら本学図書館にはまだ入っていない。
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