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サムライとナイトの化学

薬学部・薬学科 教授
三 木 卓 一

 若いうちは定かでないが、とかく研究には人格が反映するものだ。わが国には日本にふさわしい雰囲気の化学が育っていると思われる。
 最近、新渡戸先生の名著"武士道"(矢内原訳,岩波文庫)を読み返す機会があった。先生はベルギーの某法学家に「日本の学校には宗教教育がなくて,どうして道徳教育を授けるのですか」と聞かれ,これに答えるため,明治32年"Bushido, The Soul of Japan"を英文で書き綴られたのである。この本は間もなく世界各国語に翻訳され「日本の紹介に三軍の将以上の役割を果たし,時のアメリカ大統領T.ルーズベルト(間もなく日露戦争の調停役をつとめた:筆者註)もこの本を読みかつ友人の間に配った」,という。
 本書によれば,「武士道は最初サムライの光栄として1,000年前に始まったが,年を経るにしたがい大衆の間に滲透し,国民全般の渇仰および霊感となり,道徳標準を供給した」さらに,「武士道は決して柔弱な培養植物でなく,自然的という意味において野生の産である。その象徴となる桜花の美しさ,高雅さはわが国民の美的感覚に訴えて強い共感を呼ぶ。ヨーロッパ人のバラに対する讃美を,我々は分かつことをえない」と述べると共に,西洋の騎士道との壮大な比較論および未来予測が展開されている。
 さて,日本の魂をもつ化学者はまぎれもなくサムライである。特に大学教授はそのようにみえる。その研究には日本特有の個性があるはずである。天然物化学は今や「日本人の化学」と称されるほど隆盛となった。自然を愛でる心の研究者が多いからであろう。醗酵化学,抗生物質化学,生化学などは日本の得意とする分野となっている。理論化学のレベルも高いし,合成化学で高名なM,N,O教授などには古武士的風格がうかがわれる。 英国では第一級学者となるとナイトに叙せられSirと称される。英国化学会の旗印を掲げて立つ雄姿はまさしく彼等の描く理想像であろう。B(英),C(米)教授らはまた教育面でも抜きんでている。共に,「私は研究を心から楽しんでいる。学生達はこれをみて化学が好きになってゆくようだ」と述べているが,彼の地では良き環境のもとに若い化学者がすくすく育っている。
 ナイトによる化学の伝統,サムライによる化学の実績。東西交流の盛んとなった今,両者相俟って新しい化学の境地も開かれよう。我々は光栄にもその一翼を担っている。願わくはサムライ精神が,新スタイルでもよい,生き生きした息吹で21世紀に引き継がれんことを!!
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Praeputium Domini 私見

国際言語文化学部 教授
前 田 敬 作

 キリスト教で聖遺物(reliquiae)とは,聖人の遺骨や遺品のたぐいをさす。聖人の宗教的偉大さは死後もあらたかな霊験をさずけてくれるというので,これを崇敬する。このような習慣は,仏教においても盛んである。
 中世は,キリスト教の聖遺物収集が花ざかりの時代で,とくに十字軍の遠征で聖地パレスティナや小アジアの士を踏むと,ここは聖遺物の宝庫であった。われ先にとおびただしい数の聖遺物を西ヨーロッパへもち帰ってしまった。そこでオリエントの抜け目のない商人たちは,聖遺物の贋造に精を出すことになる。にせ聖遺物の数は,真正品のそれよりはるかに多かった。十字軍の時代にヴェネツィア商人とならんで一番甘い汁を吸ったのは,コンスタンティノープルの聖遺物製造業者たちであった。
 表題のPraeputium Dominiは,「主の前の皮」の意のラテン語である。「前の皮」は,口語聖書の訳語で,最近出た新共同訳聖書ではそのものずばりに「陽皮」または「包皮」と訳されている(英語foreskin)。ユダヤ教徒の男子は,生後まもなく〈割礼〉を受け,包皮の一部を切除しなくてはならない。神ヤーウェの律法なのである(出エ12:40−49)。当然のことながら,おさな子イエスも,生後8日目に割礼を受けた。教会では,主の無垢の血が人類のためにはじめて流されたことを記念して,降誕祭の8日目にあたる1月1日に〈主のご割礼の祝日〉を祝う。
 ところで,このとき主キリストの前の皮から切除された聖肉片,この超絶的聖遺物は,どこへいったのであろうか。
 キリスト教的ヨーロッパの開始者カール大帝(742−814)は,第1級の聖遺物を集めていた。彼が宮居したアーヘン(オランダ・ベルギーとの国境にあるドイツの町)の大聖堂には,おん母マリアの聖衣,おん子イエスの聖むつき,聖腰布,ヘロデ王に殺された洗礼者ヨハネの首をくるんだ布などの逸品がそろっていて,中世期を通じて巡礼の列が絶えなかったほどである。カールが情熱的な聖遺物収集家であることを知った天使たちは,天国に冷凍保存してあった主の聖肉片を彼のもとにとどけた。大喜びした大帝は,早速これをアーヘンの聖母教会につつしんで埋葬した。ところが,彼は,その後気が変わったのか,聖肉片をゴシック聖堂で知られるフランス中北部の町シャルトルに移し(ここにはマリアの聖肌着がある),さらにローマのラテラノのサン・ジォヴァンニ大聖堂にはこんだ。この聖堂は,「諸教会の母にして首」と呼ばれ,教皇みずからが司教をつとめるカトリック最高位の教会である(ヴァティカンにあるサン・ピエトロ大聖堂が最高位なのではない)。この聖堂につづいてラテラノ宮殿という教皇の住居があり,そのなかに至聖所小聖堂という礼拝堂がある。主の聖肉片は,この礼拝堂におなじく主の聖へその緒および聖靴とともに安置されていた。
 ところが,1527年神聖ローマ皇帝カール5世(位1519−56)麾下のドイツ・スペイン軍による凄惨な〈ローマ掠奪〉のさい何者かが聖肉片を盗み去ってしまった。この聖遺物中の聖遺物をめぐって,まもなく各地の教会や修道院などが再発見の名乗りをあげ,すさまじい真贋争いがまき起こり,なかには今世紀の初頭まで崇敬されていたものもある。それらの教会や修道院の数は,500を下らないという。聖肉片1個の重さが1ミリグラムだとしても,それらを合計すると,おさな子イエスは,なんとも巨大な聖おちんちんをもっていたことになるではないか。
 私見によれば,再発見されたという聖肉片は,すべてにせものであって,本物は,天使たちによってふたたび天国にはこび去られたのである。
 以上は,ジェノヴァの大司教ヤコブス・デ・ウォラギネによって集大成されたキリスト教聖人伝説の白眉『黄金伝説』の拙訳からのこぼれ話である。

前田敬作先生の著作

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雑誌アンケート調査御協力
ありがとうございました

奉仕係

 昨年末に実施しました雑誌のアンケート調査(本館)に御協力をいただき、有難うございました。
 これは、『読みたい雑誌 ありませんか』と称して、@図書館に配架中の雑誌の利用状況、A今後充実を希望する分野や誌名の2点を中心に調査を行ったものです。
 有効回答総数176通、多くの熱心・貴重な御意見をいただきました。アンケート結果をもとに、来年度の拡張後の新図書館での雑誌の充実に活用していきます。
 ちなみに、「音楽」・「情報処理」・「スポーツ」などの分野に意見や希望が多くありました。時代の反映でしょうか………。
 詳しい集計結果は、『学而』13号で発表します。

「希望図書購入制度」を活用しよう!

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中国仙人ロマン紀行
――愛車"R.O"号と――
国際言語文化学部1年 久保田 勉

 中国の広大で美しい風景に魅せられ,愛車"浪漫ONLY号"と中国仙人さがしロマン紀行を計画,中国語はもちろん英語もできないが,楽天的な性格「気にしない!気にしない!」で田舎のばあちゃん家へ遊びにいく気分で中国へ旅立った。
 上海からの自転車持ち込みOUTの情報は,出発1週間前に入っていたが,やはりだめだ。
 税関でねばること15分,女性役員が来て「国家の規定だからだめだ」と日本語で一言。R.O号は無残にも2人の税関人に引きづられ暗い倉庫に閉じ込められた。
 香港行きのフェリーのチケットを手に入れ,上海で一泊,翌日税関で「日本に帰るから自転車をかえしてくれ」とウソ八百a little EnglishでR.O号を返してもらい,そのまま香港行きのフェリーに乗り込んだ。「ざまあ見ろ!」
 ビル・ビル・ビル,これが香港か〜数千本は建っているだろう。港から奥へ進むにつれ香港らしくなってきた。都会と商店街とスラム街をドッキングしたような所で一日中歩きまわっても飽きない。やぶれたジーパンにTシャツ姿は,上海ではおしゃれで浮いたが,香港ではダサくて浮いた。若者は日本並におしゃれなのだ。仙人に似た路上生活者は多かった。
 夜間フェリーで香港出航,目を覚ますとそこは広州,まったく別の世界へタイム・スリップしたようだ。時計を香港時間から中国時間へ2時間もどす。税関でPO号が通るかどうか心配だ…しかしなんて事はない,ウソのようにすんなりとおり,大陸の広さと国家のおおらかさに驚いた。いや喜んだ。
 広州から22時間汽車にゆられ桂林到着。桂林といえば漓江下り,CM,写真でおなじみの山水画の景色,ボコッとした多くの奇峰はてっぺんが丸く仙人が寝そべっている様な感じだ。「お〜い,降りてこ〜い」 桂林■酒もほどよくまわり気分は最高! まる一日のツアーもおわり,宿にかえると5時。さっそく武昌行きの汽車に乗るため駅に向かう。その姿は,リュックサックを背中に,自転車の入った輪行袋を頭にのせ,まるでインドの女性が大きい土瓶を頭にのせてるかの姿で,中国人の中を抜けていく。
 駅はいつも,大きな手荷物を持ってる人やてんびんのように竹のさおで荷物をぶらさげている人らでごったがえっている。改札口が開くと汽車まで200mぐらいの距離をダッシュで走るのだ。当然,中国人の嵐の猛攻に負け,座席は無く,自転車とカバンで陣地をとるような形になった。出入口付近に荷物を置いたため,駅に止まるたびに荷物を動かし,戸が閉まると又そこに置く。そのくり返し,夜中になるともうパニック。座席が無くても中国人はどんどん入ってくるのだ。汗のにおいがプンプン,鶏がコッコッ,むちゃくちゃだ。腰を降そうにも狭くて降せない。僕も中国人になりきっていた。R.O号に中国人がもたれかかると,「Wei!Wei!」と言って怒鳴っていたのを思いだす。結局,腰を降ろせたのが朝方6時すぎ。一睡もできなかったのだ!これが無座の恐怖。しかし,中国人にはこれがあたり前なのだと思うと,彼らのパワーには感服する。
 ついに武昌! 日本を旅立ってから2週間近くなった。数々の出会いあり,別れあり,ロマンあり,そして新たなR.O号と俺との旅が始まった。
 さーあ出発だ。人民自転車ごぼう抜き。中国人の熱い視線。バスと競争。心はウキウキついついペダルの回転が速くなる。走りだして4時間,そこは未開の地,田舎へまっしぐら。牛に水牛,豚に鶏,見るものすべてが大自然。前方に人民自転車をとばしている青年を発見。追い抜き,ふり返ってニコッと笑うと,彼は必死にこいでくる。俺もとばす。100mほど離れたのでペースをおとし,ゆっくり走っていると,息をハアハアしながら彼が僕の横についてなにやら言っている。「……多少銭?」(これは なんぼだ?)いきなりだ。彼から見ると,スーパー自転車だろう。日本円を元に直すと,かなりの値段になるので,答えずスマイルをかえすと,「100元イーバイクァイ(4,000円)!」という。とんでもない。首を横に振ると,「500元!」と彼。再び首を振ると,彼は信じられないようなしぐさをした。そして彼は,僕がどこかの地方の中国人と思ったのだろう。一人でかい声でしゃべりたおすのだ。僕も中国人になりきって「ああ」「うん」などでうなずき,笑いをこらえていた。5分はもっただろう。ついに,「我是日本人,普通語不■」(私は日本人,中国語しゃべれない)と言うと,彼は笑いだし,僕も笑い2人爆笑だ!
 日本から持ってきたアメをやると,彼は,たばこをすすめてきた。断わるがどうしてもとすすめてくる。彼の精一杯の気持ちだ。日本でもたばこを吸わないHELTHY男が 中国へきて一本目を口にくわえた。
 その日,宿の一泊料金はたったの1元(40円)。宿のおやじと長江を散歩したり,学生とa little Englishで会話がはずんだりで,床についたのが10時すぎ。深夜ちょっと不愉快な事があった。熟睡していたのだろう。部屋のランプが急についた。「なんだろう…」一瞬心臓が凍りつく思いがした。目の前には制服を着た公安局員が5人もいるのだ。「どこから来た」、「どこへ行く」、「パスポートを見せろ」から始まり,中国語でガタガタ言ってくる。ああ分ってるさ。この村が未解放都市ぐらい,「不■不■」(分らん,分らん)と言うと,今度はEnglishでガタガタ言ってくる。こっちも少々exciteして,"I can't urderstand"と怒鳴ると,彼らはバカにしたような笑い声を立て,去っていった。あの態度に腹はたったが,全くしゃべれないために罰金さえも助かったと納得し,再び床についた。
 3日目についた盧山は,時間的に余裕がなく,仙人洞・五老峰をまわらなかったが,頂上で食べた,日本から持ってきたインスタントラーメンは最高にうまかった。
 黄山!! "松""岩""雲"の展開がすばらしい。まさしく,仙人紀行にふさわしい山だ。
 顔は浅黒く髭がはえ,Tシャツはやぶれ香港で買った半パンもボロベロ。仙人を捜しにきた本人,黄山でついに仙人になってしまった。
 杭州(西湖)→再び上海(人民広場)に到着。
 今,一人旅が一番おもしろい国=中国!目を閉じると,まぶたにあの日の熱い想い出が鮮明に浮んでくる……
 大陸が僕を呼んでいる!

※ Web化に際して文字の欠落が生じるとともに一部原稿を変更しています。

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図書館への声のたより
――様々な利用者から――

図書館は情報の発信源

経営情報学部 4年
山 田 隆 浩

 私が入学して,早くも4年間が過ぎようとしている。今回は,私が図書館と深い縁を結ぶようになった理由からお話ししましょう。
 摂南大学へ入学してみて,驚いたことがいくつかある。それは,次のようなことだ。@図書館が小さくて,古い本が多く,新しい本が少なかった。特に百科辞典や辞書類が非常に少なかった。学習用の机と椅子の数が少ない。A大半の学生と一部の先生方に全く情熱が感じられないこと。講義は,ある一定のレベルで行われるので,基礎となる土台を学生自身が作っておくべきであるが,多くの学生にはその方法がわからず,上級生や先生方からの御指導もほとんどないのが実状であった。また,講義の内容で,わかりにくい箇所がいくつか有っても,理解させるための工夫が全く無く,そのまま進行する講義がいくつも有った。
 以上のような事実に驚愕しつつも,私は独立独歩で進む決心をした・・・図書館を最大限に利用して。これが縁の始まりだった。
 そこで,下級生のみなさんに対して,図書館利用に関する私なりの方法を述べてみよう。
(1)Q:全く未知の分野についての講義の内容を補ったり,基礎力をつけるには? 
A:専門書を開く前に,非常にやさしい本から読むこと。大学生向でなく,一般向の本で,初級用2冊・中級用1〜2冊が望ましい。図書館には,この種の本がほとんど入っていないので,もっと多くの購入希望を出す必要が有る!
(2)Q:所蔵していない本でありかつ,論文・レポート等に,役立ちそうな本を探し出すには?
A:2つの方法が考えられる。@所蔵の専門書に何冊か当る→その本に載っている参考文献および推薦図書を探す→図書目録で社名・著者名・価格等を確認して,購入希望書を提出する→新着した本を使って,これを繰り返す。しかし,最初から図書目録を頼りに探すという手も有る。A新聞・雑誌等の書評欄や広告をたんねんに読む→役立つ本が有れば,希望書を提出する
 以上のような方法で私は,多くの図書や語学テープを購入していただき,とても助かりました。下級生のみなさんも図書館をどんどん利用し,設備の充実を要求すべきである。
 本来ならこのような事柄は,下級生諸君が親しい上級生から助言として受けるべきものであるが,苦慮している学生を多く見受けるので,紙面を借りて言及した。上級生でありながら,これ位の助言さえも出来ない者は,恥じるべきである! 摂南大学に大きく欠如しているものは何か? それは,情熱である!
 諸君自身の力で未来を切り開くためにも,図書館を情熱の発信源とせよ!!!


※ 後輩への貴重なアドバイスを有難うございました。山田君の入学時と比較すると,百科辞典や辞書類もずいぶんと充実してきました。又,新年度には図書館の拡張・充実が計画されております。(編集部)

My Position

工学部土木工学科 1年
土 井 健 司

 ぼくはある目的のために,しばしば図書館を利用しています。初めて利用した時の第一印象は,新しくて,人が少なくて,ゆったりと座れることでした。ぼくにとって,この事は大変都合がいいように思えました。
 ぼくが大体ここで勉強する時は,席は決っています(最初に利用した時に座った席)。そこに誰かが座っていると,スルーしますが,内心ほんのちょっとだけ「ムッ」とします。でも仕方が無いので他の席に座ります。
 数学を勉強していて問題に躓いた時,ぼくのいつも座っている席からふと外を見ると,大阪は平野なのでこの図書館から山や民家やビルなどの景色がよく見えます。5月頃は今建設中の建物がまだ低かったので,右手の方も遠くまで見えていたけれど,知らぬ間に7号館よりも高くなっています。ぼくは土木工学科なので「よくあんな高くて,でっかい建物が建てられるなあ」とつくづく人間の力,頭の良さに感心しています。又正面を見ると,ぼくは京阪電車で通学しているので,「あの辺を電車は通っているのかあ」と想像しています(5階からは電車は見えない)。逆に帰りに電車からは7号館の上方がちらりと見える所があり,電車から見た場面をここで想像したりします。そんな事を思っていると,問題の解き方をふと思い出すことがあります。しかし現実は解答を見る方が多いです。
 そんなことでいつも座っている席の方が,家で勉強している時より捗(はかど)ることが多々あります。自分の部屋では誘惑する材料が多いので,一度休憩するとなかなか次の問題に移れなくて困っています。
 まだ目標は達成されていないので,これからも大体同じ辺りに座ることだろうと思います。


※ちなみに,土井君は本年度の図書館利用最多記録保持者(?)です。(編集部)

私と図書館

国際言語文化学部 4年
金 崎 正 城

 私が入学してから,図書館を利用した回数と言えは両手で数えられるほどである。その理由は,べつに本を読むのが嫌いなわけではないのだが,なぜかあまり利用したことがない。まず利用する時というのは,「レポートを書くため」。「試験勉強をするため」。まあこれ以外の時は,ほとんどといっていいほど図書館に足を運んだことがない。
 前述したように.本を読むのが嫌というのではない。事実,情報雑誌,週刊誌などは一月に3・4冊くらいは必ず読んでいる。これは,私自身に興味がある分野なので,好きなのである。図書館の本と普段,私が読んでいる本と,まったく違う本なのでこれは理由にならないのであるが,私はあえてこれを理由にしたい。
 図書館の本は,私にとってひじょうに重々しく感じられるのも,理由にあげたい。どうも私は図書館のふんいきがあまり好きではないみたいだ。こう思っている学生はたくさん(そんなに多くいるとは思えないが)いるはずである。どうもイメージが悪いような気がするので,もうちょっとイメージ・チェンジをはかったらよいのではないかと思う。
 しかし図書館というのは,学生にとっては切っても切り離せない存在であるのは確かである。学生にとって図書館は絶対と言っていいほど,必要なものである。私も図書館を利用しなかった学生の1人であるが,これからはもっと図書館を利用し,自分の知識を高めていきたいと思う。みなさんももっと図書館を利用することをすすめます。


※資料を充実すると共に,「利用しやすい図書館づくり」は大切なことだと館員一同も努力しております。図書館には金崎君の知らない資料もたくさんあります。一度,半日かけて,図書館ツアーを試みませんか?(編集部)

図書館に望むもの

国際言語文化学部 4年
石 橋 宏 三

 私は高校時代に図書館を友人との待ち合わせ場所につかった思い出がある。
 昼休み,定刻よりも少し遅く授業が終わり急いで友人の待つ図書館に行くと,その友人が館内からニコニコして私に手招きをしている。「何だろう」と思って友人のそばへ寄ると,「面白いものが載っている本を見つけたから見てみろ」と彼が言うので見てみると,それは(たしか,世界名画全集か何かだったと思う)『ダリ』の作品集だった。百科事典ほどの厚さの本だったので,かなり重々しく手にしたのを覚えている。ぶ厚い茶色の表紙をめくると,そこには作品名は忘れてしまったけれども,室内から見た窓粋が描かれており,その窓の一面に砂漠の荒涼とした風景が描かれていて,その窓の真ん中にコッペパンが一つだけ浮んでいるという魔可不思議な絵があった。その絵を観たとき,私は何かの冷たい戦慄を背筋に感じて,夢中でその作品集のページをめくったのを今でも克明に覚えていて忘れることができない。誠に恥ずかしい話なのだけれど,『ダリ』の作品のタッチがどうとか構成がどうとかなどということはまったく分らなかったし,今でもそれは変わらない。
 肝心なのは,その時にその作品集から受けた戦慄の御陰で,今でも美術館通いをしているということだ。
 一冊の良書との出会いは,時として人間の生活パターンを変えるだけではなく,思考や人としての人格形成や人生そのものに多大な影響を与える。そういう書物に出会ったことのない人は書物を軽んじてしまうようだけれども,そういう人たちのためにも図書館というものは,そのための可能性を充実せねばならない。そういう意味で,現在の摂南大学寝屋川学舎の図書館は何らかの対処を示さねばならないのではないだろうかと,痛切に感じている学生は私だけではないはずだ。来年度,法学部が新たに増設されて学生数が増加する以上その蔵書と展示スペース,閲覧空間,その他についての当局の素早い対応を後輩のためにも希望する。


※石橋君,御意見有難うございました。来年度には,本館の3,4階まで図書館に拡張される予定です。(編集部)

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本館休館のお知らせ
 昭和63年2月1日(月)〜4月6日(水)迄、寝屋川本館を拡張工事等の為、休館します。
 これに伴って、1月18日(月)〜1月30日(土)の間特別貸出を実施します。詳細は、図書館掲示のお知らせを御覧下さい。

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