←前号 次号→

CONTENTS

私の読書

副学長 櫻 井 良 文
(工学部電気工学科 教授)

 私は、あまり本を買わない。私の妻は、大学の先生のくせにと最初は不思議がっていた。しかし、本を読むのは好きで、いつも鞄(かばん)に本が入っている。最近の若い人は本を読まないといわれるが、本の読み方には個性があっても良いと思う。人間の生き方がその人によって違うように、本の読み方もその人の性質と合うものがあるのでないだろうか。
 私の人生の中で、本との接触が最も多かったのは、18歳からの旧制高校時代である。1年の全寮制のとき、図書部の委員をやったのがきっかけで、書店の書棚から好きな小説などを何冊も抜き出して寮の図書室に届けさせ、学校の勉強はそっちのけで小説を読みふけったものである。今考えると、その時代に読んだ本の中味が人生の知恵になっていると思う。今でいえば古典に近いかもしれないが、その頃のものは、筋とは別に人生論的なものが要所要所に散りばめられていて、哲学的とはいえないまでも人生のあり方というものを教えてくれていたと思う。そのため、時には読むのに大変時間のかかったものもある。「ジャン・クリストフ」なども私の人生の悩みの解決に役立ったと憶えている。
 昨年は、赤川次郎のものを20冊以上も続けて読んだ。電車の中での読み物としては軽くて読み易いので、疲れた頭を癒すのには良いが、内容はテレビの劇を見ていると同じで、何も残らない。新しいものを買うときに、うっかりすると以前に読んだものを忘れて買いはしないかと心配したりする。これらの本は映画と同じような感じで、我々の若いときの本とは別のカテゴリーのものと考えている。
 私は自然科学の方が専門であるから、専門書の読み方はまた別である。印象に残っているのは大学1年生の夏休みに読んだ「電気機器」(上・下2冊)で、大学に入った途端(とたん)、講義が専門的で"ちんぷんかんぷん"、これに発奮して夏休みに毎日30〜50頁を一生懸命読み、やっと自信をとりもどした。これで、大学時代の成績が浮上した。
 研究をするようになってからは必要なので、時に応じて本を読むようになったが、50歳を過ぎてから、先輩に、他人の論文を読んでいるようでは独創的な研究ができないといわれ、本のエッセンスを速く把握する読み方に変えた。今でも通勤の車中で本を読む習慣は抜けない。これがないと往復の3時間以上は無駄になってしまう。専門書、小説、随筆など広くたくさん読むということが、自分を大きくすることだと思う。
CONTENTSへ

「辞書」作りから
――「西和辞典」編纂記――

国際言語文化学部 教授
一 色 忠 良

 手元に残る控えをみると、「西和辞典(原稿)昭和49年3月16日起」そして別な文字で「昭和60年11月30日第4校終了」とあって、その下にわざわざ自分の名前をも記しているではないか。われながら、これは感慨がこめられているのだ、と追想の糸口を机上にする。
 だが、共編者のビセンテ・ゴンザレス神父から話が持ち込まれたのは、起稿日よりずっと前だった。こんな大業に手をつければ泥沼に足を突っ込むようなことになるし、現にやっている他の仕事に手が回りかねない。それにローマ字付きでは、このことだけで興が薄らぐ。私の対象は日本人学徒なのだと考えて、何年かが矢のように過ぎた。
 スペイン語について言えば、村岡玄著「西和辞典」の出版が昭和2年、そして東京外語(現東京外大)の恩師高橋正武先生の手になる「西和辞典」が昭和33年に出ている。初版が出ると直ぐに、編者の名で出版元の白水社から一本が送られてきた。師から私へ――私は、眩いばかりの驚きと戸惑いを北海の地で(当時小樽商大勤務だった)覚えたものだ。思い当たることといえば、私が四国の郷里にいた昭和20年代の後半のある日、先生から来状があり、「辞書を作っているが難渋の語に出くわして立ち往生している」といった意味のことが寄せられた。日ならずして、当時松山カトリック教会の主任司祭だったビセンテ・ゴンザレス師が、用務で上京するとのことを偶々知り、私は郷里倉敷に在住の高橋正武先生にこのことを早速連絡した。ビセンテ師は、その純正な伝統の言葉で知られるブルゴス出身で、その上に有識居士である。
 倉敷在の田圃(たんぼ)の中に隠棲(いんせい)の先生は、汽車で宇野まで、さらに連絡線で高松へ。埠頭の端で、未見の僧服のビセンテ師を待ちうけていた。――このことを後日、師から聞いた。高松から逆航の宇野まで1時間、そこから岡山まで車中1時間。その間、持参の資料に基づいて両者の間に語彙問答があった。後年それが、われわれの仕事になろうとは、その頃は思ってもみなかった。
 "a"から"c"までの仮綴の手稿本3冊をビセンテ師は手元に置き、主任司祭の多忙の中で久しくそれを気にしながら時を過されていた。師は、ラテン語が好きで、日本語が面白く、そうしてもhispanohablante(スペイン語を母語とする人)に日本語をという意図のもとに、母国語で書かれた「日本語文典」の著書もすでにある。高橋辞典に「ストラ(垂れえり)」とあるestolaの日本的実物を見たくて、あるとき密かに寺を訪ねて寺僧に見せてもらい、「袈裟(けさ)」と決めたとかいう話も、私は聞いていた。私は私で、折角頂戴したありがたい高橋辞典の明らかな誤植や、気付いた用語の間違いや、不適当なものまで選り出して書き送っていた(lempiraは男性名詞ですとか、タngulo coplementarioは「余角」ですとか…等々)。
 そのうち、国際化が潮のように押し寄せてきた。ローマ字に頼って日本語を学ばねばならず、「辞書がほしい」「辞書がほしい」という声が、若い中南米諸国の留学生からも、スペインから来る文化・通商の関係者からも異口同音だった。気付いてみると、昭和10年にエンデルレ書店から「独和」の初版(今、復刻版が出ている)、その後プライトンの「独和」、「仏和」はマルタンのもの、英語では「Takahashi's English−Japanese & Japanese−English」の辞書が出ていて、いずれもローマ字付きだ。ポルトガル語に遡れば、ロドリーゲスはさておいても、17世紀にイエズス会士の手になる「Vocabulario de Japom」などもマニラで発刊されている。
 私たちの作業はいつからか馬力が倍化し、現行のやりとりや打ち合わせが頻繁になり、ビセンテ師はとうとう松山から伊丹の修道院へ移転、阪急による往来も盛んになっていった。「辞書の仕事は、一回限りだよ」との高橋先生の助言を頭に入れての作業は、早朝4時に始まる日が多く、幾年も続いた。日本人の知友や卒業生が多く勤務する中南米諸国の言語を意識する私と、スペイン人である師との間には、言葉の取捨選択の上で多少調整も必要であった。基本中の基本として頼った「Real Academia Espaハola」の20版が出たのが1984年で、編集者の中に知友のManuel Alvar博士もいる。時すでに最終校正にかかっていたが、若干は参考にして採り入れることができた。1970年の19版と見比べると、regionalismoとamericanismoの採取が散見されたからである。
 このように、「西和辞典」の編纂作業は予想外の歳月を費やす結果となったが、日本語および日本文化をイスパニア語文化圏に広げる手がかりに力を貸し得た喜びは言うまでもないが、私としてはまた、同学の両先人の労作に多少なりとも補正・増補の意味を付加できたらと心掛け、用語の現代化にも意を用いたつもりである。
 結局、この「西和辞典」が世に出たのは起稿から12年目、ビセンテ師が着手されてからは25年目の1986年春のことであった。
CONTENTSへ

CDライブラリー ますます充実!!
――所蔵資料400点突破――

 本館視聴覚室(4F)のCD(コンパクトディスク)コーナーも、好評のうちに今年で2年目を迎えようとしています。
 所蔵資料も飛躍的に増加し、クラシック、民族音楽を中心に400点をこえ、ライブラリーも一段と充実してきました。
 さあ、あなたもCDのクリアな音質で、異次元の音楽体験してみませんか?


CONTENTSへ

漫画を読まなくなった

経営情報学部 助教授
柿 沢 昭 宣

 近年の漫画を媒体とした出版物の隆盛には驚くべきものがあります。漫画が、単なる娯楽の対象から、今や情報媒体としての市民権を獲得したかの感があります。そこで今回は「漫画」にスポットを当て、柿沢助教授に体験的「漫画」論を語っていただきました。

 わたしは、これまでさまざまな契機から書物の世界と深くかかわってきた。十代の前半においては、主に、いじめられっ子であったわたしは周囲の少年たちとおりあいがつかず、したがって、このおりあいを書物の世界にもとめた。十代の後半から二十代においては、生きていくのがどうにも辛く、死ばかりが考えられて自己自身とおりあいがつかなかったことから、書物の世界にさまよった。そして現在では、職業として書物の世界にかかわり、わたしの存在自体や現実の世界が書物の世界によってささえられている。だから、わたしにとって書物の世界は、現実の世界の限界をおしひろげ、そうすることでつねに現実の世界をささえるものであった、ということができる。
 このわたしの書物の世界には、あまり自慢できることではないが、漫画が存在した。それも単に少年時代のみではなく、二十代においても変わらずに存在しつづけた。少年時代にはたとえば「赤胴鈴之助」や「鉄腕アトム」、大学時代には「忍者武芸帳」や「カムイ伝」などを次号を待ちかねるほどに熱中して読んだことを、今でも生々しく思い出すことができる。
 ところが、三十代を過ぎてほどなく、突然漫画が読めなくなったのである。ミステリーや恋愛小説は少年時代とすこしも変わることなく読むことができるのに、漫画だけは何としても興味がわいてこないのだ。
 ミステリーや恋愛小説は読めるのに漫画は読むことができないというこのちがいは、おそらく、前者は文字という抽象的記号によって表現されているのにたいして、後者が絵という具体的形象によって表現されなければならないという点からくるように思われる。具体的形象によって表現されなければならないとすれば、表現の抽象度は文字の場合ほど高度になりえないであろうし、表現内容や方法も大きく制約されるはずである。たとえば、心理描写などはできず、もっぱら飛んだり跳ねたりという活劇中心となり、また私小説でよくあるように、作者の視点を主人公のそれと同一水準に設定するなどということはできないのではないだろうか。
 ようするに、わたしの世界では漫画はチャチになったのであり、わたし自身の側でいくらかの精神的成長があったのだと思われる。
 わたしは漫画に熱中したことがあるというこの経験から、若い学生諸君が漫画を読むことを奨めはしないが、決して止めないつもりである。わたしたちの精神の構造は、ちょうど冒険家がより高度な危険につぎつぎに挑戦していくように、より高度なものを志向する傾向を自然必然的にもち、それはまず、おもしろい漫画のみを読み、つまらないものは読まないということに現われ、つぎには漫画から活字の世界へと進んでいくはずだと考えられるからである。
 しかし、漫画を読まなくなったというこの精神的成長は、わたしにとって悦ばしいものとはすこしも感じられず、あたかも単に老いの象徴だけであるかのようにただ寂しく、喪失感のみが感じられるのである。
 なお、書物の世界へのひとつの格好な水先案内人として、埴谷雄高「薄明のなかの思想」(筑摩書房)をあげておきたい。
CONTENTSへ

<現代学生気質>

東西大学生の読書比較
――大阪の大学生は読書が嫌い?――

 先日、「大阪の大学生の3割近くはほとんど本を読まず、6割以上が1日の読書時間30分以内」といった内容の調査結果が報道されていました(日本経済新聞'88.12.9付夕刊)。大変興味ぶかい記事なので紹介します。
 この報道は、全国大学生活協同組合連合会が昭和61年9月から10月にかけて、全国27大学で行った調査のうち、大阪地区8大学、東京地区5大学の調査結果の比較に基づいています。
 この調査結果をみる限り、読書時間、書籍購入金額のいずれについても、東京地区の数字が大阪地区のそれを上回り、大学生の読書に関しては、東高西低の傾向が明らかになっています(別図参照)。
 たとえば、東京では45%の学生が1日1時間以上を読書時間に当てているのに対し、大阪では38%と、全国平均の40%をも下回っています。このことは当然書籍の購入費にも反映し、東京の月額3,800円に対し、大阪は月額2,060円と4年前の同地区の調査結果(3,630円)をも大きく下回っています。
 しかし、どういう訳か雑誌の購入費についてだけは、月額1,320円と全国平均や東京の数字とあまりかわらない結果となっています。
 この点について同紙は、「大阪の大学生は本を読まないが、友人との会話に不可欠な雑誌情報には関心があるようだ」と皮肉たっぷりに分析しています。
 さて、この調査結果、あなたにも思い当たるところがあるのでは?
(M.N.)
CONTENTSへ

<図書館コーナー紹介>

日本語・日本事情コーナー
本館・普通図書室(6F)

 このコーナーは、国際化が叫ばれている今日、本学においても積極的に受け入れを推進している留学生、帰国子女学生に対し、日本語の習得ならびに日本の文化・風俗・習慣等の理解を側面から援助する目的で、1988年4月に設置されました。
 このコーナーには、日本語学習用の参考書をはじめ、外国語で書かれた日本文化・歴史の解説書など、日本および日本に関する資料が、和書・洋書あわせて約1,100冊収集されています。
 もちろん、一般学生諸君も利用できますので、時間があれば一度のぞいてみてください。


CONTENTSへ

知っていますか 希望図書購入制度!!
――利用者の声を図書館資料に反映――

 「読みたい本が、図書館にない」「ほしい本があるけど、高価で手がでない」などと思っている皆さん。あなたは「希望図書購入制度」をご存知ですか?
 この制度は、図書館資料の収集に際して、利用者の希望をできるかぎり反映させようとして誕生した制度です。
 この制度を利用すれば、単行本、ビデオ、CD,カセットなど、希望する資料を1ヵ月足らずで手にすることができます。
 手続きは、いたって簡単!
@ 図書館に所蔵していないもの
A 図書館資料としてふさわしいもの

 以上の条件を満たすものであれば、リクエスト用紙に必要事項を記入し、最寄りのカウンターに提出するだけでOK!
 購入の可否については、受付後、2〜3日以内に掲示でお知らせします。
 なお、「希望図書購入制度」に関する詳細は最寄りのカウンター係員に尋ねてください。
 さあ、あなたもこの制度を積極的に利用してみませんか?
 ちなみに、今年度の「希望図書購入制度」による購入資料の一部を紹介しておきます。

■ 「希望図書購入制度」購入実績の一例 <利用総数264件('88.12現在)>
<単行本>
・「環境のリスク・アセスメント」環境情報科学センター(産業図書)
・「雇用革命:いま、会社で何が起きているか」江坂 彰(プレジデント社)
・「北アイルランド紛争の歴史」堀越 智(論創社)
・「ダンス・ダンス・ダンス(上・下)」村上春樹(講談社)
・「アメリカパソコンソフト新事情」高橋三雄(日刊工業新聞社)
・「人工知能の未来は」ジョージ・ジョンソン(日本実業出版社)
・「超速読超記憶法のすすめ 」山下隆弘(かんき出版)
・「新松テクニカルマニュアル」服部佳代(新星出版社)
・「例文を中心とした薬学英語」福馬淳子(廣川書店)他
<カセット>
・「定本キム式速読講座」金 湧眞(朝日出版社)
・「国連英検インタビューテスト」A級・B級(講談社)
・「英語速聴講座」(朝日出版社)他
<CD>
・「チャイコフスキー/交響曲第1〜3番」カラヤン/ベルリンPo(ポリドール)
・「モーツァルト/クラリネット協奏曲他」カラヤン/ベルリンPo(東芝EMI)
・「ゲームの達人」シドニー・シェルダン(アカデミー出版)他
<ビデオ>
・「ルーブル美術館」全13巻NHK(ビクター)
・「出航 海のシルクロード」NHK(ポニー・キャニオン)
・「Tronの時代」全4巻CSKグループ(CSK)他

CONTENTSへ

卒業予定の皆さんへ
――卒業後も図書館を利用できます!――

 今春卒業されます4年生の皆さん。
 皆さんは、卒業後も閲覧および資料の複写等、本学図書館を利用することができます。利用する場合は、来館のうえ、各カウンターに申し出てください。

CONTENTSへ