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情報化社会のパラドックス

経営情報学部 教授
山根 敬三

 情報化社会と呼ばれてすでに久しい。情報産業や情報関連資本装備率の高い企業は、着実に体質を改善させ、社会的なインパクトを強めている。しかし他方、一般の個人レベルに立ってみると、確かに便利にはなったけれども、現実の真の情報からは、かえって距離が遠くなったように写る。このことは恐らく、情報が利用可能なことと情報を現実に享受することとの間に、想像以上に乖離があるからであろう。その乖離の補修は当面、「必要とする情報を如何により容易に検索・収集するか」ということになろうが、思うほど容易でもない。
 第一の問題は、たとえば外部データベース等の情報資源を利用する場合、その利用においては情報機器と利用料金を用意し、その操作方法・アクセス手順を学び、利用技術関連情報を身につけなければ、実際に必要な情報を入手できないので、一般の人々が即座に情報にアクセスできるわけではない。第二には、国際化、情報化に伴う急速な情報の増加集中によって、個人の情報選択能力の限界を超えた、攪乱項なる過剰な情報が存在し、もはや個人としては実質上無視ないし捨象してしまわざるを得ない情況にある。
 前者については、経済的能力、学習意欲のほか、必要な情報あるいは関連分野の情報がどこにどのように散在しているかなど、情報収集ではのための情報収集能力が必要とされ、後者では、必要情報を選定する判断基準の明確化と、フィードバックによる情報とノイズ(不必要な情報)との選別、試行錯誤が不可欠となるであろう。いずれにしても望まれるのは、自分の必要な情報を理解しうる専門家を身近にもつことであろうが、社会資本としての情報化社会に対しては情報検索コンサルタント等の社会的需要が一層増加することになり、情報化社会は結局のところ、人材の開発に行き着くことになるであろう。

 少しのことも、先達はあらまほしきことなり。
(『徒然草』五十二段)

 ひとつ、難問を抱えてレファレンスデスクの司書さんを悩ましに行きませんか?

<参考文献>
日本能率協会総合研究所ほか編、『ビジネス情報源』(改訂版)、日本ビジネスレポート(株)1991
教育社編、『日本アルマナック1991』、(株)教育社、1991
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数学の歴史への応用

工学部数学・物理学系教室 教授
中野 茂男

 「神武東遷」という書物がある。著者は安本美典という人で、中公新書178(昭和43年)に収められている。最初の天皇とされる神武天皇の名でわかるように、日本古代の歴史について書いたものだが、副題の「数理文献学的アプローチ」というのを見れば、数理的な方法を使ったものであることがわかる。
 だいたい世界中どこでも、古代の文献は神話か歴史か区別がつかず、その中から歴史的事実の片端を見つけ出して古い歴史を再構成するのに、古代史の先生は苦労するものである。記紀(古事記・日本書紀)でも天照大神の命でニニギの尊が日向に天降ったというのは純粋な神話、5代の孫カムヤマトイワレヒコの尊が日向から大和に遷り、即位して最初の天皇になったというのも、果たして実在の人物かどうかわからない。いや、その後9代の天皇さえも実在かどうかわからない…などの議論があって、そのため文献批判ということが行われてきた。古文献の記事の性格を検討し、他の材料と比較したりして、記事の信頼性を考察する方法である。
 例えば上記9代の天皇の名は後世風の匂いがするし、その事蹟も伝えられたものがないから、これらの天皇は後世(記紀が編集されたころ)皇室の起源が古いことを示し、皇室が日本を統治するのが当然だと宣伝する政治的必要から、机上で作られたものだろうと考えるのが、その例である。
 このような文献批判にはどうしても主観的な判断が入りやすい。現に上記の天皇の名にも、後世風な要素とともに古代風な点も含まれている。一概には言えないという見方もある。
 安本氏は、文献批判に主観的要素が含まれるのを避けるため、文献の記事を数理的に処理して、確からしいものを発見するよう努めることを提唱する。例えば、ヤマタイ国関係の記事(魏志倭人伝)の中に諸地名が、北九州と大和とに、どのように現われるかを数量的に考察し、北九州有力説をとっている。
 安本氏の成果でもっとも興味深いものは、卑弥呼=天照大神論である。同氏は歴代天皇の在位年数に関する統計を調べた。まず第30代から約10代(これは古い中ではかなり信頼できる値)が10年余り(10.28年)。それは次の奈良時代の平均よりやや短いが、大差はない(統計上意味のある差はない)。その後の平均も考えると、平均在位年数は、古い時代ほど短い傾向がある。中国の記録をも参考にして考えると第21代雄略天皇からの10代は10.28年よりやや短い。これらから(天照大神や神武天皇が記録のとおりの順序で実在したと仮定すれば――これは数学的推論のための仮説である――)、神武天皇はAD270年ぐらいの人、天照大神は(その5代前の人だから1代10年として)AD230年ごろの人と、安本氏は推定する(天照の終わりから神武直前まで、約40年と見ている)。これは、多くの例をとって在位年数の分布を調べてみたとき、「特別な情報のない、連続する2人の天皇の間は平均値と思うのが確からしい。差が何らかの範囲にある確率は分布の様子(標準偏差)でメドがつけられる」という統計数学からの結論によるのである。
 AD240年といえば卑弥呼の時代だから、安本氏は卑弥呼こそ天照大神の(外国書に現われた)姿だと考えるのである。
 これでうまく行ったように見えるが、実は困った点がある。記紀によれば天照大神から神武天皇までは、親・子・孫…と相伝えて5代である。直系5代が50年の間に(初代の即位から第5代の即位までがほぼ40年で)位についたというのは、人間の歴史の世界での出来事としては、ずいぶん異常ではなかろうか?
 この議論が歴史の学界でどう決着ついたか、あるいはそもそもまともに取り上げられたかどうか私は知らない。ただ、「ちゃんと数学の理論を使ったのに、非常識な結果となった。数学はアテにならない」と思われると、数学者である私としては困るので、説明をしておかねばならない。
 統計的な推論の結果は、連続する2人の天皇の間が何年であるかを教えてくれるはずはなくて、それが平均して10年だということ、普通の場合なら10年とみて大した間違いはない(実際の年数と10年との差が標準偏差をこえる確率は0.32以下、標準偏差の2倍をこえる確率は0.05以下)ということだけである。特別な事情が予想される場合は、推定はできない。今の場合「直系が5代続いている」という知識があると、兄弟相続の場合も含んで調べた統計にとっては「普通」でないわけで、前述の推論はそのまま使えないのである。「情報があるが故にかえって一般的推定ができない」ということになる。
 天皇の名と即位の順序との記事は数学的推論の基礎として使うが、続柄の記事は使わないという立場もあろうが、それは統計の方法を適用する以前に、文献批判を行っていることにほかならない。だいたい数字とは、「何々の条件が成り立てば何々が言える」と主張するものなのである。条件のほうは数学を使う側(歴史学)が用意してくれるほかはないのである。
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ビデオライブラリーますます充実!!

 本館視聴覚室(4F)のビデオコーナーは講義の合間の息抜き利用者や真剣な眼差しの学習利用者、スキー、テニス、ゴルフ、ウインドサーフィンなどのハウツービデオでスキルアップに励むスポーツマン&ウーマンなどで連日盛況です。図書館では利用者の皆さんの期待に応えられるよう、語学や専門教育などの学習用から旅行、歴史、社会問題などを扱った一般教育もの、果てはスポーツ・ハウツーものまで幅広くライブラリーの収集に努めています。学習利用はもちろん、ヒマをもてあました諸君もビデオライブラリーで有意義な時間を過ごしてみてはいかがかな?
 最後に最近入ったビデオも紹介しておきますので、視聴覚室未体験のあなたもぜひ一度のぞいてみてください。もちろん、音楽CDや語学カセットなどの利用もお忘れなく!

<最近入ったビデオ>
・NHKスペシャル大英博物館 <1>〜<3> 6巻 ポリスター
・驚異の小宇宙 人体 <1>〜<6> 6巻 NHKエンタープライズ
・新世界紀行 27巻 パック・イン・ビデオ
・映像でつづる20世紀 世界の記録 30巻 日本ビクター
・放送大学特別講義 19巻 放送大学教育振興会
・現代建築家ビデオシリーズ <1>〜<13> 13巻 Michael Blacjood Productions制作 デルファイ研究所
・日本建築画像体系 第2期住宅シリーズ 25巻 早稲田大学出版部
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著作権についての片言
――最近の時事的問題に寄せて――


法学部 教授
阿部 浩二

 著作権といえば一部の文筆家や芸術家の問題と思われがちですが、コピーの問題、レンタルビデオ・CD、果てはカラオケまで意外にわれわれの身近なところに存在しているのです。
 そこで今回は、著作権に関する理解を深めるため、文化庁著作権審議会委員の阿部教授に著作権問題の現状と今後の展望について寄稿をお願いしました。

 著作権にかかわる小論を寄稿せよという、図書館からの依頼である。最近の著作権にかかわる問題で、考えなければならない事項は数多い。学生諸君に大いに関係がありそうな、貸レコード、カラオケから、試験が近くなると急増する教科書等のコピー、それに現在検討されているビデオデッキやテープレコーダーを購入するときに、それらを用いて著作物を録音・録画することに備えて、あらかじめ著作権者に支払う著作物の使用料の問題(権利者からみて報酬請求権の問題といっている)もあるし、コンピュータプログラムの法的保護の問題その他、思いつくだけで15〜16の問題がすぐ浮かんでくる。
 これらを全部個々的に取り上げる場でもないし、ここでは、最近の時事的問題の若干を取り上げ、感想を述べてその責をふさぐことにしたい。
 最近の新聞やテレビで、GATT(関税貿易に関する一般協定)のウルグアイラウンド(ウルグアイで初回がもたれた新多角的貿易交渉)の交渉の様子が、連日報道されていることは周知のことと思う。主として農業問題にページが割かれているが、そこでは農業問題とならんで重要課題とされている知的所有権の分野など、15分野で審議が重ねられている。
 知的所有権とは、著作権に特許権・商標権などの工業所有権をあわせた呼称で、広義では、半導体チップの回路配置や営業秘密に関する権利なども含めて用いられている。これらをGATTの場で取り上げたのは、主として、貿易赤字に苦しむアメリカが、知的所有権の輸出によって、それを少しでも解消したい意向からとみてよいと思うが、それはともかく、GATTでは、貿易上支障となる各国の法制度の差異をできるだけ少なくしようという視点から、コンピュータプログラムの法的保護、それを含む著作物の貸与、半導体チップの回路配置や特許などについての議論が交わされたのである。
 GATTでは、プログラムをベルヌ条約(著作権の保護に関する世界的多国間条約で1886年にベルヌで成立し、日本は1899年に加入している)に規定するliterary workとして保護することに意見の一致をみた。ベルヌ条約に定めるliterary workを、古くから日本の公定訳では文学的著作物と訳している。
 文学的著作物といえば、小説や脚本、詩歌などを連想する。コンピュータプログラムは、0と1の数字記号の連続であることを考えれば、なぜそれが文学的著作物なのか、と首をかしげるのが普通であろう。そこからは、プログラムを著作権法で保護するのはどうか、という違和感ないし疑問が生じてくるのも無理もない。しかも、プログラムは、主として産業上の花形として活躍する時代の寵児なのである。
 literary workを文学的著作物と訳したことは、1899年当時としては適切であったと思う。その当時の著作物としては、小説、脚本、詩歌などがほとんどであったことを考えてみればよい。しかし、現在も1899年当時の感覚でliterary workを文学的著作物とみては、なぜGATTが、またベルヌ条約上もそれはプログラムを含むかということの理解ができなくなってしまう。
 literary workというのは、言語・記号によって表現される著作物というのがその本来の意味であって、小説、脚本などはその一部に過ぎない。欧米の人々は、このような意味でliterary workを理解しているので、プログラムを著作物のひとつとみるのに違和感はないといえよう。翻訳は難しい。ある時代では適切であっても、時代を異にすれば必ずしも適切でなくなるという適例が、このliterary workであろうか。
 1899年当時の感覚からか、小説とプログラムは違うということにこだわって、プログラム自体は特許法で保護されないものの、それは著作権法とは別の独自の法律で保護されるべきであると盛んに主張されたことがあった。そのために、プログラムを著作物として保護することはベルヌ条約上も日本の義務であると、欧米並みの路線にのせて議論するまでにどれほどの不必要なエネルギーが費やされたことか。最近はそのような風潮も下火となり、日本がGATTの場でも欧米の路線と同調するようになったことに、感慨深いものがある。
 ついでにいえば、知的所有権というのは不適切で知的財産権というべきであると、最近ときどき耳にする。これも無駄なエネルギーの浪費であると私には思えてならない。propriete intellectuelleを知的所有権と訳すのは誤訳であり、知的財産権というべきであるというのである。その理由として、proprieteというのは有体物についての所有権を表わす言葉なので無体の知的な産物を指すには不適切であり誤解を与えるという。ある大企業は、それまで使っていた知的所有権という語を廃して知的財産権に書き改めよと関連の全会社に通達したという。
 proprieteという語が有体物の所有権を意味することはそのとおりで、フランス民法もそう規定している。それに影響された日本民法もそう規定している。しかし、フランスでは、無体の著作権や特許権を指すのにpropriete intellectuelleといっており、有体物の所有権とそれが混同されたということは聞いたことがない。フランスでは誤解されずに、日本では誤解されるというのであろうか。私には無駄な言葉の遊びにすぎないとしか思えてならないのである。
 GATTで議論された貸レコードや貸ビデオの問題は、学生諸君にとっても関心のあることと思う。ECやアメリカと日本は対立し、洋盤の新譜の貸出が無条件に禁止されそうになった。一定条件の下に、あやうくそれを免れたが、このように、知的所有権の問題は、情報伝達手段の開発普及に伴って、その国境なく世界的な視野で考えなければならない時代になってきている。
 昨年の12月9日、10日に東京でコンピュータソフトウエアの法的保護に関する第3回国際会議が開かれ、ドイツ、イギリス、オランダ、アメリカ、それにEC委員会のソフトウエアの専門家を加え、約300人の参加を得て活発な論議が交わされた。私は、両日ともにパネリストのひとりとして議論に加わったが、前2回に比べ、議論もかみ合い各人の相互理解も深まってきたように思われる。このような相互理解が、民族、風俗、歴史、宗教上の差異から、ともすれば生じがちな誤解ないし認識不足に基づく相互の軋轢を避けさせてくれると思っている。
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利用者の声

図書館についての雑感

外国人客員研究員
李  暁路

 日本に到着してから、いつも行くところは図書館です。だから、日本の大学図書館と中国の大学図書館とのいくつかの違いに気付きました。例えば、@日本の大学図書館では昼食のころ学生が一番多いですが、中国の大学図書館では夕食後学生で一杯になり、閲覧室の空席がほとんどなくなります。中国の大学生の大半は学校内に住んでいて、夜は暇になるので、多くの学生が図書館に押しかけることになるのです。日本の大学生の大部分は学校内に住んでいなくて、授業終了後は、早く帰ってしまいます。
A摂南大学図書館では学生でも全部の図書資料を利用できます。中国の大学図書館では教員専用閲覧室が設置されており、その閲覧室には、貴重な図書資料がそろっているため、学生は立入禁止です。
B日本の大学図書館には学生希望図書購入制度がありますが、この制度は中国の大学図書館にはほとんどありません。摂南大学図書館の規模はあまり大きくありませんが所蔵図書の質は割合に高いです。例えば『叢書集成』『四部叢刊』『石刻史料新編』『北京図書館古籍珍本叢書』『中国美術全史』などがあります。私が所属している上海交通大学図書館には150万冊を超す書籍がありますがこれらはありません。
ちょっと残念なことは学術雑誌の種類があまり多くないということです。そんほかに本学教員が発表された著作や文章のコーナーを設立してはどうでしょう? このコーナーを設立すれば、学生たちにとって、先生が発表された著作や文章を利用するのが便利になります。
 最後に、私が図書館を利用する際に便宜を図ってくださった図書館の皆さんに感謝しております。

真珠湾50周年を迎えて

法学部 2年
川本 初恵

 真珠湾攻撃50周年を迎えて、ふと思ったことがある。それは、果たして高校時代に日本史や世界史の授業で、太平洋戦争前後の歴史を詳しく教わったか、ということである。どうも時間切れでほとんど教えられていない気がする。
 それが原因なのか、広島・長崎への原爆投下や米国の日系人強制収容所を知っている人は多いが、私たちが戦争加害者として世界の人々に対して行った行為――真珠湾攻撃、細菌兵器開発のために731部隊が行った人体実験、南京代虐殺、インドネシアにいたオランダ人の強制収容、従軍慰安婦として朝鮮人女性を狩り出したこと等――を知っている人は割と少ない。
 文部省が、過去の日本の「侵略」(武力で外国の主権を侵し、領土を奪うこと)を「進攻」(進んで行って攻めること)と書き改めろと指図する御時世だからある程度はやむを得ないのかもしれない。しかし、過去の事実はそれがどんなに醜いことであっても、私たちが行ってきたことである限り素直に認めるべきであるし、知るべきである。
 それを知るためには、身近なところに日本の侵略や日本軍の残虐行為を扱った本があるのが一番いいのだが、残念ながらそのような本が図書館にはあまりみられない。
 だから、これを機会にそんな本を図書館に入れてほしい。そしてぜひとも皆さんには、日本は戦争加害者であることを示す本を一読されることをお勧めする。

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A Frigate Like a Book

国際言語文化学部 講師
ロナルド・メイソン

"There is no *frigate like a book," wrote the poet, **Emily Dickinson. She meant, of course, that books can take you many places, many more places than a ship could. Dickinson was probably an expert in travel by book since she was something of a recluse and only left her hometown of Amherst, Massachusetts a few times in her life. She was what we call an, "armchair traveler."
In Dickinson's day, the only way to travel to distant countries was by ship. It was slow and difficult, but a traveler had time to talk and to think about what he saw. The journey itself was part of the pleasure of travel.
Today we have airplanes for travel to distant places. They are much faster and easier than ships. We also have TV and movies for armchair travelers. They are also faster and easier than books. And we have travel agencies to arrange our journeys for us. But is the journey itself still a pleasure? I have made many trips by airplane and I have never had an interesting conversation on an airplane. The trip is over too quickly. There is no time to think or talk about anything on most modern journeys. And travel by TV? It is also very quick and easy. Most travel on TV is over in an hour, hardly enough time to think about what one has seen.
Today it is travel by ship that is rare and few of us have enough time for it. But we can still travel the same way Emily Dickinson did-by book. A journey by book can be as long or as short as one wants to make it. One can think about what one has read and go back and read it again. You can show a book to a friend and share what you have read. And, bet of all, travel by book is free if you use a library. So remember, there is no travel agency like a library; and there is still no frigate like a book. So use your library.

* frigate フリゲート艦(1750−1850年ごろの、上下の甲板に28−60門の大砲を備えた木造の快速帆船):研究社新英和辞典
**Emily Elizabeth Dickinson(1830−1886)アメリカの女流詩人。生地Amherstで静かな一生を過ごし、その詩は数篇を除いて死後発表された。:岩波西洋人名辞典

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最近入ったレファレンスブックの一部

*継続購入資料を除く

<本館>
・改訂増補 新数学事典 一松新ほか編 大阪書籍(R410.33S)
・広辞苑<第4版> 岩波書店(R813.1K)
・時間生物学ハンドブック 千葉喜彦ほか編 朝倉書店(R461.036J)
・日本史総合辞典 林陸郎ほか編 東京書籍(R210.033N)
・中国食物辞典 田中清一 柴田書店(R596.22C)
・動植物名よみかた辞典 日外アソシエーツ(R470.33D)
・中国諸民族服装図鑑 上海戯劇学院編 柏書房(R383.1C)
・コンピュータの事典<第2版> 相磯秀夫ほか編 朝倉書店(R548.203C)
<分館>
・有害物質データブック N.IRVING SAXほか 丸善(R574.036Y)
・高分子新素材便覧 高分子学界編 丸善(R578.036K)
・油脂化学便覧<改訂3版> 日本油化学協会編 丸善(R576.036Y)
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コレクション形成事業が今年度からスタート!!

 図書館では個性あるコレクションを形成し、蔵書構成の特色化を図るとともに、この資料によって本学ならびに学外の研究者も含め、該当分野の教育・研究の発展に寄与することなどを目的として、コレクションの形成事業を今年度からスタートすることになりました。この事業は、ひとまとまりのコレクションを一括購入する収書方法A(予算300万円)と、対象分野を決定し、継続的に資料を収集する収書方法B(予算200万円)の2本立てで実施されます。
 このような方針に基づき、学内公募を経て今年度は次の2件に決定しました。
 なお、収書方法Aによる経費は、本学後援会から援助いただくことになりました。
収書方法A:
「西洋古版 日本関係地図コレクション」
申請代表者 西田彦一教授・国際
収書方法B:
「インドネシア学地域研究コレクション」
  申請代表者 深見純生助教授・国際

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