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CONTENTS

  1. 「ダブル・へリックス」(小井田雅夫)
  2. としょかんミニレクチャー<第23回> 宗教改革と印刷術(田中真造)
  3. 『三国志」ブームはいつから始まったのか(高橋繁樹)
  4. 世界の図書館6――ダンディー大学法学部図書館(宮川 聡)
  5. 利用者の声
  6. <所蔵資料紹介>ビデオ「日本軍政下のインドネシアにおいて上映された映画」
  7. ILLシステム活躍中!!
  8. 法律図書館連絡会に加盟!!

ダブル・ヘリックス

薬学部薬学科 教授
小井田 雅夫

 訃報が届いたのは去る4月28日の夕刻であった。「もしもし、私、東レにおりましたKの長男Mですが、今日父が亡くなりました」。
 1960年代後半、ニューヨークのブロンクスにあるアルバート・アインシュタイン医科大学の同じ研究室に留学し、家族ぐるみで楽しいお付き合いをさせていただいたK学兄の悲報であった。
 K学兄はインターフェロンを世界で初めて医学界に供給し、その功績により、1989年の紫綬褒章をはじめとして薬学会賞等々、数々の賞を受けられ、去る3月にも大阪工大で開催された日本薬学会第113年会において技術賞を受けられる予定であった。あまり知られていないが、中学時代、あの阪神タイガースのエースであった小山投手とバッテリーを組んで活躍された野球少年であり、文武両道に優れたK学兄の逸話は尽きない。
 酒が入ると、合唱団時代に覚えたポピュラーからクラシックまでのレパートリーを惜しみなく披露し、夜を徹する酒豪であった。後年、小生がイリノイ大学在職時にインターフェロンの講演をお願いし、夜のシカゴを飲み歩いた後、夜中の2時にたどりついた静かな郊外のアパートで合唱を始めたことなど、思い出が尽きない。あるとき、こういわれたのが最も印象に残っている。「小井田さん、これだけ苦労して莫大な費用と時間をかけて作った超・超高価なインターフェロンをヒトに投与するとほとんどが作用部位に届かずに不活化されてしまう。無法者の集団に、全裸の美少女を放り込むようなもんです。こんな薬こそ、効率よく作用部位に送り込む手段を提供するのが薬学の使命と違いますか」。そのK学兄の歌はもう聞けない。
 辻堂(神奈川県)でのお通夜に参列することとし、署名入りでいただいた数々の著書を手にとるうち、ふと、かつてニューヨーク時代に買ったワトスンの「Double Helix」が目についた。この本には、現代の神とも言えるDNAの3次元構造解明の経緯が詳しい。聞けば、ご子息のM君は三島の遺伝研で、かつてブロンクスの同じ研究所におられたI教授の下で研究中とのこと。
 「Double Helix」を手に、お通夜の席で久方ぶりに奥様にお会いし、不覚にもしばし愁嘆場を演じた後、M君に「お土産がなくて申し訳ないのですが、これは初版本だと思います。老い先短い小生にはもうあまり縁がなさそうなので、よろしければどうぞもらってください」と手渡した。書棚の片隅でほこりをかぶり、色あせていた本がようやく日の目をみた思いがした。後日、M君から、自治医大に助手として赴任するというお葉書をいただき、「宝にします」とのことであった。忘れることのできない一冊の本である。
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宗教改革と印刷術

経営情報学部経営環境情報学科 教授
田中 真造

 15世紀の半ばにグーテンベルクの開発した活版印刷術が、宗教改革の普及に決定的な役割を演じたことは改めて言うまでもない。例えば、宗教改革の口火を切ったマルティン・ルターの「カトリック教会の贖宥状に関する95箇条の提題」は、発表されるや否や、掲示用の一枚刷りだけでなく、小冊子としても次から次へと各地で印刷され、もともとのラテン語版だけでなく、訳者不詳のドイツ語訳も出まわって、ルターの後年の回想によれば、2週間でドイツ全土に知れ渡った。ルターはこのような伝達方法を駆使することができたのである。
 宗教改革の宣伝メディアの中でも特に効果的であったのは、ドイツ語で「フルークシュリフト」と呼ばれるパンフレットで、これは、この時期急成長した印刷業によって大量生産される比較的安価な小冊子であり、書籍の新しいジャンルであった。ところが、この事実ははるか以前からよく知られていたが、フルークシュリフトの生産に関して、おおまかな見積りではなく、具体的な数値を算出し、その影響力を計量的に測定する研究が現れ始めたのはつい先ごろのことである。この分野では資料が厖大に過ぎるので、今日でもその全容をとらえて適切に整理する作業は容易ではないからである。
 ここでは最近の有力な研究を手がかりとして、宗教改革期のフルークシュリフトの普及ぶりに触れてみたい。ドイツでは1500年から1530年の間に約1万種類のフルークシュリフトが出版されている。当時は1版が1000部刷られていたと仮定されるから、全体で1000万部が出版されていたと推定できる。その10%以上がルター自身の論文である、これらのフルークシュリフトの大部分は、1517年すなわち宗教改革開始の年から1527年までの10年間というかなり短い期間に出版されている。その内容を計量的に分析すると、宗教改革の教義とそれから引き出される諸帰結を宣伝するものが圧倒的に多いことがわかる。さらに1517年から1525年までに期間を限定すると、この8年間にルターの論文が50万部以上出まわっていて、宗教改革初期にはルターの著書が最も売れ行きのよい書籍であったということができる。フルークシュリフト出版のピークは1522年から1525年までの3年間で、1525年以後は生産量が急激に落ちる。その理由は、ごく簡単に言えば、1525年を境として宗教改革が大きく変質したことにある。
 さらに注目すべきことは、この時期のフルークシュリフトのほとんどが上部(南部)ドイツで出版されており、低地(北部)ドイツでの出版は極めて少ない、ということである。つまり、フルークシュリフトの読者の居住地域は上部ドイツに決定的に偏っているのである。16世紀初頭のドイツ全体の人口は1200万人であったと推定されており、その半数余りが上部ドイツの方言を話していたと考えられる。一般的な見解によれば、当時文字を読むことができたのは人口の5%に過ぎなかったから、機械的な計算をすると、ドイツ全体の人口を基準にした場合、読むことができる者はひとりあたり30から40のフルークシュリフトを読んでいたことになる。さらに、一家族で同一のフルークシュリフトを2部は買わなかったと仮定すると、読むことができる一家族に割り当てられるフルークシュリフトの数は、一家族5人として、150から200にはね上がる。これはあり得ないことであるから、ここからこの研究は上部ドイツに限定すれば、読むことができる人口比率は、一般的見解が推定する5%をはるかに上まわっていた、と結論するのである。
 このような解釈はたしかに、フルークシュリフトの普及状況について正確な測定をしているしかし、上部ドイツの住民の識字率に関する余りにも高い評価にはやはり疑問が残るといわざるを得ない。帝国都市を数多く抱えた文化的先進地域である上部ドイツの住民の識字率が平均をかなり上まわっていたことは容易に推測できるが、私見によれば、フルークシュリフトの出版部数の多さは必ずしも正確に識字率の高さに比例してはいないのである。何よりも、先にも述べたように、この分野の史料はまだ適切な整理が行われていないために、フルークシュリフトというジャンルの中に余りにも無雑作に雑多な小冊子が組み入れられていることを指摘しなければならない。当時のフルークシュリフトは少なくとも二種類に区別する必要がある。ひとつは自分で読むための小冊子(主として論文の形をとる)、もうひとつは、学識ある人が読んでくれるための小冊子(主として対話や朗読の形をとる)である。後者には、多くの場合、木版画がいわばイラストとして挿入されていて、その木版画を眺め、誰かが読むその文章を聞くことによって、内容が理解できるように工夫されている。だから文字を識らない民衆、とりわけ農民層も、宗教改革に加担したかぎり、このような小冊子を可能な範囲で積極的に購入したと考えられるのである。したがって、上部ドイツの住民の識字率を余りにも高く評価することは問題であろう。
 しかし、いずれにしても、印刷術が宗教改革の普及に決定的な役割を果たしたということは、数値によってもかなり正確に裏づけられる事実である。

参考文献
@ 「帝国都市と宗教改革」森田安一ほか訳、B.メラー 教文館 1990年
A 「ドイツの宗教改革」田中真造ほか訳、P.ブリックレ 教文館 第3版 1993年
B 「ルターの首引き猫」森田安一著 山川出版社 1993年
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『三国志』ブームはいつから始まったのか

国際言語文化学部 教授
高橋 繁樹

西暦 三国志年表
184
189
200
207

208
216
219
220

221

222
223
229
234
252
263
265
280
  • 黄巾の乱おこる
  • 漢の最後の皇帝、献帝即位
  • 官渡の戦い
  • 劉備、諸葛孔明を迎える
  • 劉備の子、劉禅誕生
  • 赤壁の戦い
  • 曹操、魏の王となる
  • 関羽戦死
  • 後漢滅びる
  • 曹操死去。曹丕が魏の王になる
  • 劉備、蜀の初代皇帝として即位
  • 張飛、暗殺される
  • 孫権、呉を建国
  • 劉備死去。劉禅が即位する
  • 孫権、帝位につく
  • 諸葛孔明北伐のさなかに五丈原で病死
  • 孫権死去
  • 蜀滅亡
  • 魏滅亡。司馬炎即位し西晋を建国
  • 西晋が呉を滅ぼし、中国を統一

 あるクラブ団体の会員名簿をめくっていると、『三国志』を愛読書にあげている人が総勢600人中5人もいた。その数はわずかに1%にも満たないが、あえて取り上げなかった人を含め、準愛読書とする人はこの数倍はいるだろう。一方、私たちが青春時代に必ず読んだはずの、ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキーなど、西欧古典文学作品をあげる人は誰もいなかった。理由はなんとなく推測できる。そのひとつは彼らのとりあげた『三国志』が中国の『三国志演義』の翻訳でなく、吉川英治の『三国志』であったことにある。つまり外国文学ではなく、吉川英治が描くとことの日本人の情緒で書かれた『三国志』が支持されているのだ。
 昨年1年間で『三国志』関連の出版物は155冊にもなったという。このほか雑誌の特集などを含むとその数はかなりなものになり、この数字には今さらながら驚かされる。たぶんテーマ別の統計でも『三国志』は相当上位に入るだろう。また支持層は、正確なことはわからないが、講談社の「少年少女世界文学館」全24巻中『三国志』が一番よく売れていることから、大人だけでなく子供にも広く読まれていることがわかる。しかし、これは教育熱心な親が子供に買って読ませるのだろうから、子供に人気があるかどうかわからない。
 一方、大学の教室で『三国志』をテーマにしたところ、学生がたくさん集まった、と日経新聞に出ていた。今年、大阪市大の先生が講義で正史『三国志』の購読を始めたところ、予想に反して大勢の学生が集まり、教室が満員になったそうだ。世の中で最もぐうたらな大学生が、しかもとりわけおもしろくない漢文の購読に大勢押し寄せるなど、まさに青天の霹靂としかいいようのない珍現象だ。これらは彼らが過去に何らかの形で『三国志』と接触し、関心をもっていることを表している。どうやら世の中『三国志』ブームは静かに渦巻いているようだ。
 ブームは今に始まったことではない。10年以上も前になるだろうか、人形劇『三国志』がNHKテレビで放映された。NHKという気のきかない放送局があえて『三国志』の制作に踏み切ったのは、そのときすでに『三国志』が静かなブームになっていたからだ。
 実はそれよりずっと以前、平凡社「中国古典文学大系」の『三国志演義』上下2巻が別売りされ、岩波文庫『三国志』全10巻がきれいな化粧箱に入ってセット売りされたり、世間の関心はすでにある程度高まっていた。
 東京のある私立大学の非常勤講師室で数学の先生が「ボーナスで買いました」と、岩波文庫の『三国志』のセットを見せてくれた。その本が吉川英治作ではなく、原作の翻訳であったので、「吉川英治ではありませんね」とたずねると、「原作でなければ、本当の面白さはわからないでしょう」と一本とられた。今どき原作を重んじるとは、なかなかの人だなと、当時感心した。
 中国ではいつごろから三国志の物語が始まったのだろうか。唐代の詩人、李商隠(りしょういん)(813〜858)の詩に、当時すでに三国志の語り物が行われていたことを思わせる文句がある。しかし、はっきりわかるのは宋(960〜1279)に入ってからで、「説三分(せつさんぶん)」という三国志の講釈が都市の盛り場でさかんに語られていた。
 本として登場するのは、恐らく元朝(1271〜1368)になってからのことだろう。今残る最も古い本は、1323年ごろ刊行された『全相平話三国志(ぜんそうへいわさんごくし)』(図参照)だ。この本は中国では滅んでなくなり、日本で発見された。ストーリーは後の『三国志演義』とほぼ同じだが、内容・文章とも稚拙で、分量も『演義』のわずか十分の一と少ない。この本は確かに売れたらしく、後にほとんどそのまま、絵までコピーした海賊版(天理図書館蔵『三分事略』)が出版されている。
 本格的に出版が盛んになるのは明の嘉靖元年(1522年)の『三国志通俗演義』(図参照)からだ。この本の体裁はたいへん立派で、まるで科挙の教科書の儒教の経書と変わらない。これはよほど売れたのか、この後、次から次へと福建地方と南京を中心とする江南地方に分かれて、『三国志演義』の出版競争が始まる。今残るものだけを数えても100種類を下らず、当時の出版事情から考えると、これはまぎれもない『三国志』ブームといえる。この後、清朝になって毛宗崗(もうそうこう)による改訂版が出版され、『三国志』の売れ行きはますます伸びていった。
 恐らく中国でも『三国志』は、科挙の教科書を除いて、歴史的ベストセラーのトップクラスだろう。今に至るまで多数の人に読まれている。
 さて、摂大生諸君、君たちは『三国志』を読んだかね。ゲーム・ソフト『三国志』ではだめだぞ。
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ダンディー大学法学図書館

法学部 助教授
宮川  聡

 92年9月より93年9月までの1年間、私はスコットランドのダンディー大学(University of Dundee)に留学する機会を得た。ダンディーは人口約18万の都市で、北海に流れ込むテイ(Tay)川の河口に位置する。残念ながら現在は世界的な不況の影響もあって高い失業率に苦しんでいるが、古くはスカンディナビア諸国との貿易港として、また前世紀から今世紀初頭にかけてはジュート産業の中心地として繁栄した歴史を持つ。
 街の中心部かた歩いて数分の距離にある大学のメインキャンパスには中央図書館(Main Library)と法学部図書館(Law Library)があるほか、バスで10分ほど離れたところにあるナインウェルズ(Ninewells)病院には医学部図書館が併設されている。
 法学部図書館は、法学部と心理学科の入っているスクリームジャー(Scrymgeour)ビルの1階と2階にある。ここはEuropean Documentation Centreであると同時に、石油・資源法研究センター(Centre for Petroleum and Mineral Law Studies)のための資料も多数集められているほか、各国の判例検索が可能なデータベース(Lexis)を利用することができる。開館時間は、学期中の平日が9:00〜22:00であり、土曜日が9:00〜12:00である。休暇中は平日の開館が17:00までに短縮される。この図書館には180人分の机が用意されているが、学期中は開館を待つ学生の列がいつもできていたほどであり、朝早くから夜遅くまでいつも満員であった。
 貸出などを行う係員のいる2階には、スコットランドのみならずイングランドやアメリカの判例集・法令集のほか、ほぼ最近1年間分の世界中の諸大学法学部発行紀要や各種法律雑誌が、1階には教科書、参考文献や最新のものを除いた雑誌類が置かれている。学生の勉強に必要な文献はほぼそろっていたが、所蔵されていないものでも、スコットランド国立図書館の相互図書貸出制度(National Library of Scotland Lending Scheme)などを通じて、他の大学や研究機関から短期間ながら借りることができる。また、各科目の講義に必要な教科書や参考文献はすべて短期貸出(Short Loan)の対象として別に保管されており、4時間を限度として貸し出されることになっている。ちなみに私が出席した法制史の講義では、4ヵ月間に読まなければならない文献として15冊が指定された。
 学生用のコピー機も2台置かれていた。予算不足のためであろうか、残念なことにこのコピー機は日本ではお目にかかることができないような古い機種で、利用できる紙のサイズは1種類(A4)しかなく、しかもしばしば故障のため利用できなくなっていた。
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利用者の声

"希望図書購入制度"を利用してみませんか

工学部建築学科 3年
川下 美穂

 皆さんは、学術本が読みたいけれど値段が高くて買うのをやめてしまった、ということがありませんでしたか? そんな私たちの強い味方が"希望図書購入制度"なのです。この"制度"を使えば、何万円もする専門書だってもう怖くはありません。この"制度"は、小説・CD・ビデオなどでも適用されます。今、人気の本を読んでみたい…、図書館にあったらいいのに…、というときなど、申し込んでみたらいいのではないでしょうか。
 しかし、この"制度"を利用すると、本が手元にたどり着くまで3週間から1ヵ月、それ以上かかることもあります。ですから、本を読むに至るまでは、しばらく待たなくてはいけません。私はいつもこの待ち期間がもう少し短くなればいいのに、と思っているのですが…。『すぐに読みたい』という人には、「速図君」を利用するという手があります。しかし、ここにも難点がひとつ。「速図君」は、ブックセンターに本がないことには利用できないのです。あたり前のことですが、ほしい本に限って置いてないものです。ただし、貸出期間の2週間以内に読みきれなかった場合、継続貸出ができず、その後、"制度"を利用した場合と同じぐらい待たなければならないので、気をつけてください。
 気長に待つことのできる本なら、この"制度"は学生にとって、どんどん利用したい制度ですね。私もこの"制度"で本をたくさん購入していただきました。まだ一度も利用していない人は、ぜひ利用してみてはいかがでしょう。

※ 学生希望図書については、優先的に処理し、1日でも早く希望者の手元に届くよう努力していますので、皆さんも「希望図書購入制度」を活用してください(図書館)
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<所蔵資料紹介>

ビデオ「日本軍政下のインドネシアにおいて上映された映画」
――TVドキュメンタリー番組等で放映――

 本館には貴重図書として「日本軍政下のインドネシアにおいて上映された映画」(ビデオ6巻)があります。
 これは第2次世界大戦中に日本の占領下にあった南方の諸地域において、対住民プロパガンダ用として日本軍が制作、上映した映画をビデオに収めたものです。
 日本の「大東亜共栄圏」構想など、当時の日本の植民地統治を研究するうえで非常に貴重な資料といえます。事実、NHKをはじめ在阪のTV局を中心に過去5局から番組制作のために借用または閲覧の申し出がありました。最近では、昨年末(12月23日)に関西テレビで放映されたドキュメント「忘れられた戦友〜インドネシア現地兵・HEIHO」の中で使用されました。
 なお、同ドキュメント番組のビデオ録画を見たい方は本館視聴覚室(4F)にありますので、カウンターに申し出てください。
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ILLシステム活躍中
――文献複写や現物貸借の強い味方――

93年度相互貸借全件数のうち、ILLの占める割合
(93.11末現在・本館のみ)
受付 依頼
複写 26.5%
(95件/359件中)
93.9%
(414件/441件中)
貸借 42.0%
(34件/81件中)
69.2%
(63件/91件中)

 皆さん、研究用、卒業論文作成のための資料集めはどうしていますか?
 本学の図書館に探している資料がなくてもILLシステムを利用すれば、他大学図書館の資料でも早く手にいれることができるのをご存知ですか。では、ILLシステムとは一体何でしょう
 ILLシステムとは、学術情報センターが提供するシステムで、図書館内で実施している文献複写や、現物貸借にかかる業務(図書館相互貸借:Inter Library Loan)のうち、依頼、送付、料金通知などの通信連絡業務を従来の郵便に替わり、オンライン・ネットワークを使って処理するシステムのことです。
 すでに全国の大学図書館など(10月現在 261機関 457組織参加)でILLが利用されています。今までのように郵便ではなく、端末画面からすぐに文献複写や相互貸借依頼ができます。
 たとえば、ILLを利用すると、依頼日から数えて早ければ翌日、平均して4〜5日で資料が届きます。
 このような相互利用は、図書館カウンター(本館は5F)で申し込めます。教職員はもちろん、学生諸君もILLによる相互利用を活用して、多くの文献をスムーズに入手して立派な卒論やレポートをまとめてみてはどうですか?
 ただし、学生諸君の場合、費用(実費)は自己負担です。
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法律図書館連絡会に加盟!!

 本学図書館は、昨年11月に法律図書館連絡会に新規加盟しました。この団体は、法律関係の図書館、資料室等を組織する全国的な組織で国会図書館や最高裁図書館、法務図書館など国の機関をはじめ、法学部を設置する国公私大の図書館、資料室など57館の加盟館で構成されています。今回の加盟により、法律関係資料・情報入手のスピードアップなどサービス面での一層の向上が期待されます。
 なお、当館にはこの他に関係外部団体として日本図書館協会、私大図書館協会、日本薬学図書館協議会などに加盟しています。
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