はじめに
これまで本シリーズでは、大学教育における「主体性」の重要性について、様々な角度から論じてきました。学生の主体的な学びを促す「対話型フィードバック」や、挑戦を後押しする「失敗してもいい場」の心理的安全性、そして他者との関わりの中で自分を知る「チーム学習」の力。さらには、学びの出発点となる「問いを持つ力」をどう育むか、そしてなぜ今、社会全体が「主体性」を求めるのか、その背景を探ってきました。
これらの議論を通じて見えてきたのは、主体性とは単なる意欲や姿勢の問題ではない、ということです。それは具体的な行動や思考のプロセスに支えられています。しかし、「自分で考える」「仲間と対話する」だけでは、真に主体的な学びは完成しません。そこには決定的に重要な、二つの技術が求められます。
一つは、物事の本質を見抜き、思考を深めるための「クリティカルシンキング(批判的思考)」。もう一つは、その思考を他者に的確に伝え、対話を建設的に導くための「ロジカルライティング(論理的記述力)」です。
これらは、主体性という車を力強く前に進めるための「両輪」にほかなりません。本稿では、この二つのスキルがなぜ主体的な学びに不可欠であり、これまでの議論とどう結びつくのかを解き明かしていきたいと思います。
1. 思考のOSを磨く ── なぜクリティカルシンキングが必要なのか?
クリティカルシンキングと聞くと、「批判する」「あら探しをする」といったネガティブなイメージを持つかもしれません。しかし、その本質は、「情報を鵜呑みにせず、前提を問い、多角的に検討することで、より本質的な理解やより良い結論に到達しようとする思考態度」です。これは、現代の大学教育における思考のOS(オペレーティングシステム)とも言えるでしょう。
AI時代における「考える」ことの価値
AIが瞬時に「答えらしきもの」を生成する今、私たちに求められるのは、その答えを鵜呑みにせず、その妥当性や背景を吟味する力です。エッセイ第5弾で論じたように、社会はもはや「正解を覚える人材」ではなく「答えのない問いに取り組める人材」を求めています。クリティカルシンキングは、まさにこの要請に応えるための基盤です。AIが出した答えに対して「それは本当か?」「別の視点はないか?」「根拠は何か?」と問いかける力こそが、AIを使いこなし、新たな価値を創造する主体性の源泉となります。
「質の高い問い」はここから生まれる
エッセイ第4弾では「問いを持つ学生」を育てる重要性を述べました。クリティカルシンキングは、その「問い」の質を劇的に高めます。講義内容に対して「なぜそう言えるのだろう?」と根拠を問い、「もし条件が違ったらどうなる?」と応用を考え、「そもそもこの理論の限界はどこにあるのか?」と前提を疑う。このような内省的な問いかけが、表層的な理解を乗り越え、深い学びへとつながるのです。
失敗を「学び」に変える分析力
そして、この力はエッセイ第2弾で強調した「失敗してもいい場」で真価を発揮します。失敗を単なる「間違い」で終わらせず、それを成長の糧に変えるには、「なぜうまくいかなかったのか」を冷静に分析し、「次はどうすれば改善できるか」という仮説を立てるプロセスが不可欠です。この一連の振り返りこそ、クリティカルシンキングの実践そのものです。
2. 思考を鍛え、他者とつながる ── なぜロジカルライティングが不可欠か?
どれほど深い思考も、頭の中にあるだけでは他者には伝わらず、社会的な価値を生み出すことはありません。ここで登場するのが、もう一方の車輪であるロジカルライティングです。これは単なる「文章術」ではなく、「自分の思考を構造化し、根拠と共に論理的に伝えることで、他者との知的協働を可能にする技術」です。
書くことは、考えること
ロジカルライティングの第一の効能は、自分自身の思考を鍛えるツールとなる点です。「なんとなく考えていること」を文章にしようとすると、論理の飛躍や矛盾、根拠の弱さに自分で気づかされます。主張、理由、具体例という構造を意識して書くプロセスは、曖昧な思考を客観視し、セルフ・クリティカルシンキングを促す絶好の機会となるのです。
対話と協働の土台を築く
エッセイ第3弾で論じたチーム学習や、第1弾の対話型フィードバックが実りあるものになるかどうかは、ロジカルなコミュニケーションにかかっています。自分の意見を「私はこう思う。なぜなら…」と論理立てて説明できて初めて、建設的な議論が始まります。他者もどこに焦点を当ててフィードバックすればよいかが明確になり、対話の質が格段に向上するのです。「伝わる」経験は、学生に「自分の意見が場に影響を与えている」という自信をもたらし、さらなる主体性を引き出します。
3. 「両輪」を回すための教育実践
では、大学教育の中でこの「両輪」をどう育んでいけばよいのでしょうか。それは、これまでのエッセイで触れてきた様々な教育実践の中に統合することができます。
少し、私自身の取り組みをご紹介します。私が所属する摂南大学薬学部では、1年生を対象とした初年次教育として「薬学基礎演習」という必修科目を設けています。この授業の中核をなすのが、まさにクリティカルシンキングとロジカルライティングの訓練です。10コマ以上の時間をかけて、学生たちは基礎的な考え方を学び、実際に短い文章を書く、グループで議論し互いの文章をレビューするといった実践的な演習を繰り返します。専門知識を本格的に学ぶ前の早い段階で、この「深く考え、的確に伝える」という学びのOSを身につけることが、その後の専門教育を主体的に、そして深く学ぶための土台になると確信しているからです。
こうした直接的なトレーニングに加え、大学教育では以下のようなアプローチも「両輪」を鍛える上で非常に有効です。
- PBL(課題解決型学習)とレポート作成: 現実の複雑な課題に取り組む中で、学生は情報をクリティカルに収集・分析し、その解決策をロジカルな文章(レポートや提案書)としてまとめることを求められます。このプロセス全体が、両輪を同時に鍛えるトレーニングになります。
- ディスカッションとピア・レビュー: 授業でのディスカッションは、他者の意見をクリティカルに聞き、自らの意見をロジカルに述べる練習の場です。さらに、学生同士でレポートを読み合い、論理構成や根拠の示し方についてフィードバックし合う「ピア・レビュー」を導入すれば、他者の視点から自分の思考と文章を客観視する力が養われます。
- 教員によるフィードバック: 教員は、学生の提出物に対して「結論」の正しさだけでなく、「思考のプロセス」や「論理の組み立て方」に焦点を当ててフィードバックすることが重要です。 「ここでの根拠が少し弱いね」「この主張とこの主張のつながりを、もう少し詳しく説明できる?」といった問いかけが、学生のクリティカル・ロジカルな思考を刺激します。
おわりに
「主体性」とは、自ら問いを立て(問いの力)、失敗を恐れずに挑戦し(心理的安全性)、他者と協働しながら(チーム学習)、学びを深めていく力強い営みです。そして、その営みのすべてを支えるのが、思考のOSであるクリティカルシンキングと、思考の伝達技術であるロジカルライティングという「両輪」です。
深く考え抜く力と、それを他者と共有し、社会に働きかけていく力。この両輪をバランスよく回す術を身につけることこそ、学生が予測不能な未来を自分らしく、そして力強く生きていくための最高の贈り物ではないでしょうか。
大学は、この「両輪」の回し方を学ぶための、最高の練習場であるべきです。私たち教員は、そのための環境を整え、学生と共に走り続ける伴走者でありたいと、改めて強く感じています。
公開日: 2025年7月29日
著者: 大塚 正人