はじめに
がんの告知を受けた瞬間、多くの人は人生の舵を突然誰かに奪われたような感覚に襲われます。
これからどうなるのか。自分にどんな選択肢があるのか。何を優先して生きていくのか。
病そのものよりも、「これからの人生を自分で決められないかもしれない」という不安が、じわじわと広がっていきます。
そんなとき必要なのは、患者自身が「自分の人生を主体的に選び取っていく力」を取り戻すことではないでしょうか。治療や病状の進行に振り回されるのではなく、「どんなふうに生きるか」「何を大切にするか」を見つめ、他者と関わりながら進んでいく姿勢。それがここでいう“主体性”の中身です。
「主体性」とは、“一人で決めること”ではない
主体性という言葉を聞くと、「自分ひとりで判断する力」と捉えられがちです。しかし、実際にはそれだけではありません。特にがんという重大な局面では、専門的な知識、治療方針、社会的な制度、家族の意見など、さまざまな情報や立場が交差します。
そんな中で患者ができるのは、「自分は何を望んでいるのか」「何を大切にしたいのか」を言葉にし、医療者や支援者と“対話しながら”進んでいくことです。主体性とは、自分の人生を他人任せにせず、「共に歩む」という態度でもあるのです。
「語る力」が、自己を取り戻す
がんの治療において、重要なのは選択の連続です。手術を受けるかどうか、抗がん剤を使うか、緩和ケアをいつから始めるか――。どれも一つの正解があるわけではなく、「その人にとっての答え」を探る必要があります。
そのためには、自分の気持ちや価値観を「言葉にする力」が必要になります。自分の声で語ることが、自分を取り戻すプロセスにつながります。
電話相談やサポートグループ、がん体験者の集まりなど、安心して語れる場があることは、こうした力を育てる大切な土壌です。はじめはうまく言葉にできなかった人も、少しずつ自分の考えを整理し、語りながら気づき、自信をつけていく。その過程こそが、主体性を取り戻す道のりなのです。
「練習」が必要な主体性もある
治療現場でよく起きるのが、「先生の言うとおりにしていれば安心」という依存的な態度と、「全部自分で決めなければ」という過剰な責任感の間で揺れることです。
実はこの間にこそ、練習が必要です。自分の考えを伝える練習。質問する練習。説明を理解する練習。こうした力は、日常生活ではあまり意識されませんが、病と向き合う場では急に問われるものです。
ロールプレイ(模擬対話)や、わかりやすい情報提供、価値観を整理するためのワークなどは、こうした“主体性の筋力”を少しずつ鍛えるサポートになります。「自分のことを自分で考える」という力は、練習によって育っていくものなのです。
主体性を支えるのは、対話の質
患者の主体性は、本人だけの力ではなく、「周囲の応答」によっても育まれます。
自分の考えを語ったときに、それをちゃんと受け止めてくれる人がいるかどうか。
「そう思うんですね」「その気持ち、わかりますよ」と応じてくれる相手の存在が、
「私はこのままでいいんだ」という自己肯定感を育てます。
これは、医師や看護師、ソーシャルワーカー、友人、家族など、誰が担ってもよいものです。
大切なのは、“どんな言葉で返してくれるか”“どんな姿勢で聴いてくれるか”。
対話の質が変わることで、患者は自分を見つめ直し、もう一度、自分の人生を選び直す力を取り戻せるのです。
主体性の先にある「生き切る力」
主体性とは、単に治療の選択肢を選ぶ力だけではありません。
それは、「どう死を迎えるか」を含めて、自分の命を自分で見届ける力でもあります。
「私はこの道を選びました」と静かに語る患者の姿には、どんな言葉よりも強い生命の尊厳が宿っています。
誰もが完全に納得できる答えにたどり着けるわけではありません。
それでも、「私はこう生きたい」と言える瞬間があること。
その言葉が持つ力こそが、がんと向き合う人の“魂の軸”となって支えてくれるのです。
おわりに
がんと向き合うということは、自分の命を他者に預けるのではなく、
“他者と共に自分の命を生きる”ということです。
そのためには、患者自身が自分の気持ちや価値観を言葉にし、
周囲の人と丁寧に対話を重ねる時間と場が必要です。
主体性は、最初から強く持っているものではありません。
支えられながら、語りながら、少しずつ育てていくものです。
そしてその主体性こそが、人生の最後まで“自分として生き切る”力の源になるのではないでしょうか。
公開日: 2025年7月30日
著者: 大塚 正人