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お知らせ

インドネシアでは毎年4月21日は「カルティニの日」として祝賀行事が行われます。カルティニ(Raden Ajeng Kartini 1879-1904)は、インドネシアにおける民族主義運動・女性解放運動の先駆者です。オランダ領東インド(現在のインドネシア)に生まれ、制限の多かった女子教育を求めて学校設立などに尽力しました。25歳という若さでこの世を去りましたが、1964年に国家英雄に列せられ、彼女の誕生日である4月21日には全国各地で祝賀イベントが開かれます。

インドネシア語のエニ・レスタリ先生の授業では、4月20日に学生たちに民族衣装をまとってもらい、授業を通じてカルティニの功績を紹介し、称えました。参加した学生たちの、日本語とインドネシア語の感想をご紹介します。

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(Tanakaさん)
私は大学でインドネシア語を勉強しています。カルティニの日に授業で民族衣装であるクバヤを着ました。カルティニとはインドネシア女性解放運動の先駆者で、毎年4月21日の誕生日をカルティニの日として祝賀行事が行われています。インドネシア専攻のみんなでクバヤの着方を学んだり模様を勉強したり写真を撮ったりしました。インドネシア人の友達にはなんでカルティニの日を知っているの?と言われました。インドネシアでもカルティニさんはすごく有名なんだと感じました。クバヤを着れて、インドネシアの文化に触れられて良かったです。

(徳見さん) 
カルティニの人生で僕が苦痛だったと感じる場面はやはり父親に反発するところです。父に部屋に閉じ込められることを強制されながらも教育の大切さを他の人に伝え続けるのは子供ができることではないです。当時、女性の教育は小学校までという慣習がある中で、カルティニが反論したこと。その勇気がそれからのカルティニ自身や他のインドネシアの女性の自立に繋がっていると思いました。行動力と発信することの大切さを学ぶことが出来ました。

(岡田さん) 
カルティニさんはインドネシアにおける女性教育の第一人者であると考えています。彼女は2度もお父さんに学校に行くことを断られたそうですね。私は小学校の頃から勉強があまり好きではありませんがやりたいことが見つかったので、ここに来ています。私が彼女の父親なら、子供がやりたいことは、なるべくやらせてあげたいものです。

カルティニデーには、女性はクバヤを着るそうですね。日本のキモノのようなものでしょうか。先生はジャワ出身の方ですよね。ジャワの女性はよく何色のクバヤを着ていますか。これからもこの伝統をつないでほしいです。

(西岡さん)
Saya sudah tahu perihal karitini. 
Dia tidak hanya mengubah pendidikan tetapi juga mengubah linkungan sekelilingnya selama dia muda.
Saya terharu dan saya pikir kegiatan dia memberi keberanian kepada orang-orang.
Saya pikir saya  juga ingin berusaha sebisa saya. 
<日本語訳> 
カルティニについて学びました。彼女は若くして教育環境を変えただけではなく。さまざまな制度や環境を整えました。私は、彼女が人々に与えた勇気や活動にとても感銘を受けました。私もこれからできる限りの行動を起こしていきたいと思っています。

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