樫田 美雄教授カシダ ヨシオ
所属
現代社会学部 現代社会学科
専門分野
社会学|人間情報学|スポーツ科学|科学社会学
キーワード
文化社会学,生活社会学,エスノメソドロジー・会話分析,医療と福祉の社会学,ビデオ・エスノグラフィー / 高等教育論,現代社会論
関連リンク
プロフィール
出身 | 出身地は日本.和歌山県和歌山市日赤病院生まれ,東京,大阪,名古屋,金沢育ち.20歳までに20回の引越し. |
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生年 | 1961年 |
家族構成 | 様々な動物,様々な人間,様々な無生物. |
尊敬する人物 | 太宰治(作家),中島みゆき(シンガー),藤村正之(上智大学),浜日出夫(慶應義塾大学) |
愛読書 | 走れメロス(太宰治),毒をんな(中島みゆき),第七官界彷徨(尾崎翠),死の棘(島尾敏雄),考えるヒント(藤村正之,弘文堂) |
好きな映画 | ドラマだけども『イルジメ』『バンパイア検事』(以上韓流),『瓔珞』『武則天』(以上中国ドラマ).映画だと,『ゴッドファーザー』,『ブレードランナー』,『燃えよドラゴン』,『書を捨てよ、町へ出よう』. |
好きな国・地域 | 網走,竜飛岬,鳥取砂丘,カッパドキア(トルコ),フィンランドのヘルシンキ(キアズマという美術館) |
子どものころの夢 | 世界同時革命 |
休日の過ごし方 | 仕事,トレイルラン,仕事 |
好きな言葉 | 人間が人間を一番刺激する.神は細部に宿る.ブリコラージュ.道具の非道具的利用.なんとかかんとかやり過ごす(ストラッグル).思わざる効果(いじわる効果) |
学内おすすめスポット | 食堂 |
2024夏の思い出
2024年夏の思い出は,「畳を使ったはき掃除」をみたこと,です.2023年夏に,100歳でなくなった父との思い出の一つは,2012年夏に東日本大震災の被災地を旅行したことでした.単なる旅行でしたが,いろいろ思うところがありました.それで,今年の夏は,その旅行を模して,能登に行きました.輪島の「白米千枚田」まではレンタカーでいくことができましたが,そこから先は工事の人だけが通行出来るようになっており,(その先の珠洲に近い)「時国家」にも,(珠洲の)「青い洞窟」にも行くことが出来ませんでした.「朝市」は焼け跡整理中でしたし,「キリコ会館」は玄関のガラス窓が壊れたまま,営業していませんでした.そういう中で,驚きの発見をしました.それは,「畳を使った掃き掃除」です(そのうち,生成AIで絵画化しようと思っています).ハサミを持った重機が個人の家の解体作業をしていたのですが,その作業の終わりに,ハサミで廃棄予定の畳をつまんで,道路の上の小さな残骸を手元に引き寄せていました.これはすごい,と思いました.道具の非道具的利用(道具を元の道具の用途とは違う目的で利用すること.茶碗で音楽を奏でること等.器用仕事,ブリコラージュとも言います)が,私の社会学の研究テーマなのですが,それを目の当たりにしました.驚くべき生活の知恵はどこにでもあるのだ,と思いました.
生協手帳が,発行終了になって
生協手帳は年度手帳なのですが,一昨年発行終了になってとても困っています(同じサイズ同じ頁構成のものを,19歳の時から40年間以上使っていました).生協手帳は,前年の11月には翌年のものが発行されていて,とても便利だったのです.民間の手帳は,年度区切りではなく,年区切りが中心で,かつ,4月始まりの手帳が販売されるのは,2月になってからがほとんどなので,困っていました.もちろん,スマホでスケジュール管理をすればよいのですが,電子情報は,消える・流出する・わからなくなる,というリスクがあり,紙の手帳は燃えない限り消失しないので,手放せないのです.どなたか,よいスケジュール管理の仕方あるいは,手帳の購入元をご存じだったら,お教え下さい.
ゼミ宴会の料理(アヒージョ)
SDGsの取り組み
社会課題
- 少子高齢化・人口減少
社会学者にとって「社会課題の解決を考える際の要諦」は,「社会課題の解決は容易ではない,ことを肝に銘じること」である.しばしば「できるようになる」ことは,「できないようになる」ことでもある.「素早く考えることができるようになる」とき,「どうしてもゆっくりしか考えられない」能力は失われている.2016年夏に米国のウイスコンシン州マジソンに2ヶ月ほど滞在して研究員生活をしていたが,「上からダニが落ちてくるかもしれないから,木の下を歩くのは危険だ」と言われ,しばらくして,木の下を避けて(潜在的にダニを避けて)歩けるようになった.しかし,それは,木の下の日陰を満喫して歩くことができなくなることでもあった.少子高齢化対応の中には,熟練技能の移転問題があり,その問題に対応する際には,既に議論のターゲットになっている<熟練技能の移転>だけでなく,「幅広い人間の生活能力/状況変化対応能力というものが,どのようにしたら保てるのか」を考えて行くことが必要だろう.